Photo BBS 
零戦編V
Mitsubishi(Nakajima)Type Zero Carrier Fighter
参考資料、協力作画等、協力大歓迎掲示版に書き込まれた記事や、
発表したい方々の希望をかなえたいと思いこのコーナーはあります
又、本等の記事等参考に簡単にまとめました
皆さんの意見でこのページはできています、
だだ、私管理者の勘違い等がありますので間違い等見つけられたら
掲示板等でご連絡いただけたら幸いです、今後ともよろしくお願します。
岩本徹三飛曹長機・253空・昭和19年2月ラバウル・トベラ基地


作画2003年5月


「53ー102号機は高荷義之氏の考察論文から
52型(三菱4323号位までの耐熱板なし、最下部排気管の長い型)とした。 
72個の撃墜マークは手記にある「70個」に推定を加えた数、
尚この数には協同撃墜も含まれている。 
マークの大きさは同時期の他隊(204空)のマークが
「直径約100mmであった」との複数の証言から類推して決定した。 
桜はベタの桃色とも考えられるが
原稿の「岩本ノート」に自筆の詳細な桜の図があることから
今回はそちらを採用した。」


監修、文、優一郎さん、
作画管理者

藤色の二式水戦

作画2003年7月 尚、機番は想像です
5空の写真には暗く写っている機体が在り、
これは藤色の可能性が高いと思えたが有力な証言が得られずにいた。
昔から米軍側の証言はあるのに日本側の証言が皆無だったのだが、
「横空の整備員の方から藤色のニ式水戦を見たことがある。」との証言が
在り当時藤色に塗装された機体が存在していた事が判明した。
そもそも意外と目立つ紫という色が塗装された経緯には、
アリューシャン方面に発生する海霧に関係するかも知れない。
つまり太陽光の光の波長は、
海霧などが存在するとプリズムに近い効果により青色系の光は
透過出来ずに拡散してしまい黄色や赤色系の光が透過する事になり
地上付近は淡い紫色に近い色に染まる事になり
カモフラージュ効果を狙い藤色が塗装された可能性が高い。


監修、文、masaさん
作画管理者
零戦21型 265空 昭和19年春 台湾


作画 2003年9月20日





高橋保男(甲飛10期) 大脇さん提供
すでに各誌に発表されてお馴染みの265空(雷部隊)の零戦を紹介する。
今さら・・・の感もあるが、今回は機体全体を写した
鮮明な写真を元に作画して頂い
たので、機番号を含め「このコーナーでは初出」と言うことで御理解願いたい。

監修、文、優一郎さん、
作画管理者

参考資料「本土防空戦」(徳間書店・1981年)
「闘う零戦」(文芸春秋・2001年)及び未発表写真。


写真
高橋保男(甲飛10期) 

青山芳雄二飛曹(当時)デザインの雷部隊(いかづち)のマーキング
赤字に白ふち、地に稲妻(黄色)と、いかにも若者らしいデザインが新鮮である。この部隊マークは、公募によって決められた。
265空が、62航戦に移った、昭和19年2月〜4月(戦地進出直前)に使用された。
写真提供 大脇さん

参考に第一航空艦隊(昭和18年7月〜)とは

第261航空隊(虎) 昭和18年6月1日〜昭和19年7月10日

第121航空隊(雉) 昭和18年10月1日〜昭和19年7月10日

第263航空隊(豹) 昭和18年10月1日〜昭和19年7月10日

第265航空隊(狼) 昭和18年11月15日〜(昭和19年2月1日〜昭和19年5月5日)

〜昭和19年7月10日【上記括弧内は、第62航空戦隊(比島方面担当)に所属】

第321航空隊(鵄) 昭和18年11月15日〜昭和19念7月10日

第341航空隊(獅) 昭和18年11月15日〜昭和19年5月5日〜(昭和19年7月10日)

第343航空隊(隼) 昭和19年1月1日〜昭和19年7月10日

第521航空隊(鵬)  昭和18年9月1日〜昭和19年7月10日 

第523航空隊(鷹) 昭和18年11月1日〜昭和19年7月10日

第761航空隊(龍) 昭和18年7月1日〜(昭和19年7月10日)

第1021航空隊(鳩) 昭和19年1月1日〜(昭和19年7月10日)

 

第61航空戦隊: 昭和19年2月1日、第62航空戦隊の併設にともない、

従来の第一航空艦隊は、マリアナ方面担当の第61航空戦隊となった。



2004年2月22製作
一部の資料ではEV-117号機は日高盛康大尉乗機とされているが、
写真のアングルからして撮影した日高大尉は飛行甲板上に繋留されている
零戦を愛用 のライカのカメラで記念写真又は
飛行甲板上の情景を写したスナップ写真として撮影されたと思われる。 
つまり自分の乗機を写真に写す場合、
通常は撮影する被写体を写真の中央に持ってくる訳で
撮影された写真上からはその様には感じ取れない。 
ましてや、日高大尉の乗機がEV-117号機とは誰も断定出来ていない
(日高大尉が証言したのなら別)。
又この機体にはバランス・タブが装備されていたと言われているが、 
バランス・タブを装備された三菱製の21型は200号機以下であり
下川大尉の事故(16年4月)後早急に改善(17年5月)されている為、
このEIII-117号の写真撮影時(17年10月)にバランス・タブ付きの
機体があったとは考えられない。
しかもそれを裏付けるように問題の写真でもバランス・タブは確認出来ない。
 
 
写真集 日本の戦闘機 光人社

監修、文、masaさん、

作画管理者
零戦52型丙03−79号機


戦後大村基地で撮影された03−79号機の写真を見る限り、
スピナに関しては頻繁に交換された事もあるだろうし
又部隊に於いて意図的に交換したとの証 言も在り、
写真の明度から見ればスピナの前部は
赤色では無くこげ茶色のように思われる。 
又、胴体帯も従来から白帯と言われていたが今回、
元203空の関係者から「隊長記号は黄色であった」との
証言を得たのでそれに従った。
この機体の一番の特徴は、
後部胴体が62型と同じ仕様になっている事では無いだろうか?
写真からは燃料給油口、明かり取り窓等が確認出来る。



情報、監修、解説、masaさん
作画、おかちゃん
2004年5月5日更新
大分空の零戦(練習機)
機番号のオタに関しては、同機の写真が掲載されている雑誌の解説では
霞ヶ浦空で使用されている機体となっているが、
同一と思しき写真が最初に発表された際は「大分空・・・」となっており、
背景の山並などからやはり大分基地ではないかなとも思え
機番記号はカでは無くオタとした。
又、大分空の零戦(練習機)の中には車輪カバーに色(白縁なしの赤)が
塗ってある機体が多数存在しておりオタ-150に関しては、
この事を踏まえ白縁付きの赤とした。


情報、監修、解説、masaさん
作画、おかちゃん
2004年7月11日更新
大分空の零戦2(練習機)
大分航空隊の零戦です。機番号は推定ですが、
やはりモデル映えするので描きました。
私が参考にした、写真は、航空ファン76年2月号記載分ですが、
この機の左前方にも、筑波空、
1182号機に似た機首斜め塗り分け塗装の機体がみうけられます。
コクピット下の注意表示は私の知り得る資料では…
「実戦部隊で耐用時間オーバーの中古機である事。
低質航空八七揮発油を用いた事。その為、
栄発動機の最大ブーストを+50ミリに抑える運転制限を科する事を
整備担当、操縦者に喚起する為、注意事項が記入された」この位しか解りません。
情報、監修、解説、作画、
ta・gucci2004年08月13日更新

訂正・2004年11月

取急ぎ御報告。
先般、新・日本機考に掲載されました私のイラスト、
零戦に関して、コクピット下の87オクタン表示後方の
ステンシル「最大ブースト圧+50粍」を「ブースト+50」に変更します。
お詫びし訂正します。
航空ファン1月号「筑波山ヨーソロー」の記事をご参照ください。



同じ写真の鑑定結果
ラダーの数字は「76」と読めます・・・。 
>>この機の左前方にも、筑波空、
1182号機に似た機首斜め塗り分け塗装の機体がみうけられます。 
 左前方の機体は「二式練習戦闘機(A5M4-K)」ですね・・・
...YUICHIROさん 


もっと詳しい掲示板の内容はta.gucciさん画廊2にも有ります
筑波空の零戦(練習機)
筑波空所属の1182号機はかなり以前から、
零戦特集の度に紹介される有名機です。
全面オレンジの零式練戦と同じ様な、
機首の斜め塗り分けラインが大きな特徴ですが、
従来の塗装図ではこの部分を正確に伝える物がなく、
もんもんとしておりました。が、
学習研究社刊「零式艦上戦闘機2」で
やっとより実態に近づいた塗装図が紹介されました。
迷彩を施す以前の塗装も合わせて描いてみました。
情報、監修、解説、作画、ta・gucci
2004年8月13日更新
濃緑色で塗装された352空の21型
21型は明灰白色が主だが、
今回は濃緑色で塗装された352空の機体を取り上げてみた。
この機体の特徴は、アンテナ支柱に描かれた
漢数字の機番号一○二ではないだろうか。
胴体には長機を示す白帯が2本描かれていたが、
後に濃緑色で塗り潰されている。


情報、監修、解説、masaさん
作画、おかちゃん
2004年8月12日更新

筑波空の零戦(練習機)
ツ-1184号機のテールコン-ンがもしも損傷により他機の物と
交換されていたとしたら、尾脚が防塵覆の一部に引っ掛かり尾脚の
引き降しが出来ずに尾部を接地させて不時着してしまった可能性が高く、
この事は複数の証言により理由の一つとして考えられる事だろう。
当該機のツ-1184号機がこれに当てはまるかは残念ながら証言を
得られず不明であるが、可能性としては在り得る事だろう


情報、監修、解説、masaさん
作画、おかちゃん
2004年9月10日更新
全面濃緑色の21型 カー104
全面濃緑色の21型は従来、全てが中島製の新造機とされてきたが
全面濃緑色の機体が写っている写真の細部を見た限りでは
アンテナ柱の折れ方や、エルロン・バランスタブの有無等を考慮すると
少なくとも撮影された機体の殆どが三菱製の様に考えられる。
三菱での21型の生産は昭和17年6月頃に終了しおり、
これらの写真の機体は当初は灰色で完成したのを
昭和18年末頃から翌19年始め頃かけて
濃緑色に塗り直された物と考えられる。
しかし残念ながら塗り替える際に何故?
機体を全面濃緑色に塗装されたのかはその詳細は不明の間々だが、
一つの可能性として次の事が考えらるのではないだろうか。
昭和18年11月21日、タラワに上陸して来た米軍によって撮影された
第281空の零戦は全面濃緑色だったのだが、
同飛行隊での任務は艦戦、主要使用機種は零戦、
輸送の2機種のみとなっており少なくとも
零戦は夜戦を意識したものでな無いと少なからず考えられるだろう。
つまり同月の11月上旬に行われた「ろ号作戦」の発令時に
艦戦(32型、22型を除く)のみを黎明時における迷彩効果を高める為に
機体を全面濃緑色へと塗装が行われた可能性が在り、
翌年の昭和19年頃に夜戦に関するカテゴリーが確立され
塗装に関する通達が出された事により夜戦と混同される
全面濃緑色が廃止された経緯があると考えられるのだが・・・。



情報、監修、解説、masaさん
作画、おかちゃん
2004年10月11日更新
映画
ハワイ・マレー沖海戦登場機
映画「ハワイ・マレー沖海戦」に
南雲機動部隊の艦載機役に扮して登場した機体で、
劇中の架空機として当時、海軍機よりも国民に馴染みのあった
陸軍機同様の防眩塗装をカウリングに施したと考えられる。
フイルムのコマ撮り写真では「B-1」まで写った物が存在するが、
鮮明に確認出来るものは残念ながら無く仮に
この機体の機番号が「B-10ろ」とした場合、
これは霞ヶ浦空のカをBに直しただけではないかと思われる。


情報、監修、解説、masaさん
作画、おかちゃん
2004年11月25日更新

赤松貞明少尉搭乗機
302空 20年2月厚木基地
ED-126号機(20年2月厚木基地)は赤松貞明少尉搭乗機で
垂直尾翼には伊藤一整曹と描かれ、
胴体に描かれている桜の撃墜マークは桃色で八重桜が描かれている。
因みにこの機体は通説では52型甲だと言われていたが、
302空には52型甲と乙が配備されて折らず通常の52型であろう。

また、この頃の302空の零戦は 
スピナ前半分を黄色に塗った機体が多く見られますので
このヨD-126号機も塗られていた可能性があります。

情報、監修、解説、masaさん
作画、管理者
2005年1月5日更新

筑波空所属のツー403号機


筑波空所属のツー403号機であるが、
カウリング後方のアクセスパネルの後端部にはジュラルミン板で
加工された様に見え又、ツー460号機とされる写真には
アクセスパネル部分をジュラルミン板で加工された後が確認出来る。
この事を踏まえてツー403号機にも同様な加工を施されたと考えた。
アクセスパネルの後端部が加工されている理由とした考えられるのは、
アクセスパネルの頻繁な脱着作業により、
縁側のDZUS FASTENERが損傷した為であろう。
垂直尾翼上端部のオレンジ色は、
機番号を塗り替える手間を省く為に塗り残されている。


情報、監修、解説、masaさん 優一郎さん
作画、おかちゃん
2005年5月12日更新









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