零戦・鵜の目鷹の目
真実の扉の向こう


真実の扉の向こう
 
零戦に排気タービンが装備されたとの話しは巷の噂としてあるが、本当に装備された機体が存在していたのだろうか?
私がエンジニアだった方から伺った内容は、
耐熱鋼の材質問題から排気タービンを装備した零戦の計画が途中放棄されたのでは無く、
機体側の艤装問題から搭載されなかった。
つまり排気タービンで吸入空気を圧縮した場合、高圧縮の為に吸気温度は上昇して充填効率が低下し、
デットネーションを生じる原因となる。その為、中間冷却器を装備して冷却効率を高める必要性から過給器や中間冷却器を
エンジンから出来るだけ離し、シリンダへの吸入温度を出来るだけ低下させる必要が在ったのだが、
零戦への搭載を検討した場合、現実には中間冷却器と排気タービンとをエンジンから離せるだけの
スペースを機体側に確保する事が出来ず熱的には非常に厳しい条件下で在った。
しかも、当時のわが国では艤装関係の技術が未だ不十分で経験不足から実用に供するだけの小型軽量の
中間冷却器が製作出来なかった事実がある。又、排気タービンの過給による温度上昇で燃料のより完全が気化が行われるが、
この事は先に述べた様にデットネーションが発生し易くシリンダヘッド温度の影響は無視出来なくなる。
シリンダヘッド温度は混合気の燃焼の性質に影響し、プリイグニッションやデットネーションが起こるとシリンダヘッドの温度は上昇する。
これによりシリンダヘッド温度が高くなるとエンジン部品を弱くしその寿命を縮めてしまう。
シリンダヘッドやピストンに使用されている材質はアルミニュウム合金で、この材料の強度は温度に密接に関係し、
ある温度を超えると急激に弱化する。弁と弁座が過熱して変形する事や弁軸とロッカー・アームの潤滑不足、
シリンダとピストンの間の油膜切れを起こし、これに伴って傷が発生したり、作動が不能になったりする。
又、過給器系統をギリギリの所で運用していると、ブーツストラッピングと言う現象が起こる。
これは、自然的に排気タービンのターピン速度の変化がコンプレッサー速度の変化を誘発し、
過給器系統が不安定になることである。
 
耐爆剤
ガソリンには耐爆剤としてイソオクタンが用いられたのと誤解が在るが、
そもそもガソリンは原油を蒸留した直留ガソリンからオクタン価を95オクタン価乃至100オクタン価の
航空燃料を製造する際には、プタンガスやブレチンガスを重合させ
水素を添加して出来た分留ガソリン(イソオクタン)とを混合させて製造されていた。
又、原油からの直留ガソリンの留出量は少ない為92オクタン価以下の航空燃料でもイソオクタンを
直留ガソリンに混合すれば、そのガソリンの製造は極めて容易で在った。
因みに当時のわが国にて製造した耐爆剤は、専ら航空燃料のオクタン価向上の目的に添加されるもので、
その組成は次ぎの通りであった。
 
成分                  混合比 
                    重量(%)  容量(%)
四エチル鉛               61.0   65.0
二臭化エチレン             37.5   35.0
安定剤(ヒドラゾ・ベンゾール)     0.5
青色染料(スーダン・ブリュ-G)    1.0 
  
航空特九一揮発油
横空にて十二試艦上戦闘機の試験飛行を行われていた頃既にペーパーロックの問題が表面化していた。
当時の燃料の蒸気圧は6ポンドと規定されていた為で、
この蒸気圧が高いと上昇時に外気圧が急激に下がるため蒸発損失が激増しペーパーロックが生じた。
この燃料の熱損失によって生じる蒸気圧のベーパーロックの発生を少なくする為に
星宮技術大尉が主任となって蒸気圧約2ポンドの航空燃料を製造した。
試験飛行の結果、零戦に使用される燃料の蒸気圧は2ポンドに抑える事に改定し、
三燃製油部にその製造を委託した。
因みに蒸気圧をあまり低くおさえると、寒冷時におけるエンジンの始動や暖気運転が困難になる矛盾がある。
 
空戦フラップ云々・・・
「零戦も空戦中にフラップを使用して空戦フラップとして使用した事があった・・・」とも噂されているが、
旋回の最小速度は1/√cosθVsの関係からして旋回時は抗力の増加により失速速度が高まってしまう為に
エンジン出力を増加させなければならない。つまり零戦に用いられたスプリットフラップは、
翼後縁の下面の一部を下へ折り曲げる形式のもので、
これによって後縁の静圧を低くして揚力を増すものであるが、抗力も著しく増える欠点が在る。
尚、キ44の搭乗経験の在る方は、空戦フラップを使用するタイミングが難しくて使用しなかったと証言されている。
旋回時のgフォースを受けながら、スロットルとフラップ操作を同時に行う事は現実的には無理である。
 
チューニング(Tuning)
チューニングの本来の意味合いは「調整する、調律する」という意味であり、
こういった用語はエンジンの運転条件での用語としては用いられない。
正しくはWar Emergency Procedures或いは単にProcedures又はOperationと言う。
 
航続距離
本来航続距離に関係するのは機体重量が大きい程V L/Dが大きく、
このため燃料が消費され重量が軽くなるにつれV L/Dの減少に合わせて減速させる必要があり
機体重量が軽くなる程必要馬力も少なくすむので比航続距離は次第に大きくなる。つまり機体重量が重い程、
必要馬力と飛行速度も速く燃料消費率が高いが燃料の消費によって
機体重量が減少して軽くなると必要馬力と飛行速度が減少すると共に燃料消費率は減少していく。
栄一二型と栄二一型の両エンジンには重量差も在り、この事は必要馬力にも関連する。
 
夜間着陸
夜間着艦の際に必要なのは飛行中の機に対して空母の位置を示す灯火や進入角を示す着艦指導灯等の灯火であり、
これらの灯火がパイロットの夜間視力を奪う程の光度であってはならない。
空母では戦闘機、艦上爆撃、艦上攻撃等の機体が運用されるが、
いずれの機体も着艦時は座席を最上方位置にするが
MEHT(minimum pilot's eye height over the threshold)は同じであり着艦指導灯のグライドパスも大きく異なる事は無い。
 
十二式艦戦
中国戦線に派遣された十二式艦戦は発動機の冷却問題が在ったとれるが、
そもそも当時の栄一二型エンジンにはAMCが未装備だった為で、
高度が上昇して空気密度が低下すれば同じ出力を維持するにはスロットルを開かなければならず、
スロットルを開けばより大きな空気調量力が生じ、
燃料流量が多くなり手動でミクスチャーレバーをリーン方向へ動かし、
適正な燃料流量まで流量を減少させなければならない。
しかし、気圧変化に伴い適正な燃料と空気の混合割合を変えなければ、
当然燃料が濃くなりエンジン振動やシリンダ内温度が過昇し損傷するに至る。
 
アルコール燃料
アルコールの種類によってはその性情が異なり、
配合燃料の一号アルコール燃料に鉄カーボニ−ルを添加してオクタン価を向上させた燃料を用いての試験を行った。
上空でアルコール燃料に切り換えたのは
アルコールの揮発性がガソリンよりも低くシリンダ温度がある程度高まった状態ではなけれが使用出来なかった為であり、
高高度で一号アルコール燃料に切り換えてエンジンの全速運転を行ったのであろう。
 
五二乙型
中島飛行機小泉工場にて量産される五二型の戦時公表写真に写っている機体を五二乙型と言われているが、
そもそも中島では無印の五二型、五二甲型、五二型丙が生産されていたが、五二型乙が生産された記録は無い。
 
二一型爆戦写真
闘う零戦 一三九頁に翼下増槽を装備した六五三空飛行長・遠藤三郎少佐が搭乗する「二一型爆戦」の写真とされるが、
本写真を見た限りでは主翼日の丸の位置が内側に在り、
二一型の日の丸位置から異なる事から二一型では無く五二型であり、
実際に翼下増槽を装備した二一型の写真とは言えない。
 
※貴重な零戦関連の写真を集めた写真集「闘う零戦」が在るが、
残念ながら一部事実と異なる解説が散見されるので、
その一部をここで紹介し改めて読み直して戴ければ幸いに存じる。
 
19頁下の解説には
「赤城」の飛行甲板上で、第2次攻撃隊の零式1号戦9機と99式艦上爆撃11型18機が爆音をとどろかす。
とあるが、写真に写る影から太陽高度は略真上に位置し、
真珠湾攻撃時の写真と言えず昭和17年初め頃に撮影された写真であろう。
 
35頁下の写真解説では、零式1号戦2型に寄りそう新人搭乗員・・・・と在るが
写真に写る機体は、有名なX-151(報国-984)であり零式2号戦(32型)である。
 
58頁上の32型の写真解説には、
この32型190号機は、元は小隊長機で胴体に黄帯が塗ってあったものを消して・・・とあるが
胴体赤帯1本は204空機(前身の6空)の共通標識であり、
写真上からも赤帯が塗られているのが確認できる筈。
 
93頁の解説では、鹿児島県出水にずらりとならんだ零戦52乙型とあるが
増槽の懸吊方法や大型の耐熱板(中島製の特徴)から中島製機で在る事を確認出来るが、
上記の五二乙型の項で示した様に中島では乙型は製造していた事実は無く主翼の13mm機銃を外した52丙型であろう。
 
133頁上の解説では、
伝説的技量の赤松貞明少尉は昭和20年2月中旬の艦上機来襲時に零戦52甲型で出撃し・・・とされているが
302空では52甲型は配備されていない。したがって、写真の機(ヨD-126)は通常の52型であろう。

                                                                          
                                                                                                                                                             
133頁下の解説では、
03空戦闘303飛行隊の腕達者・谷水竹雄上飛曹と彼の零戦52丙型。
南九州防空戦の戦果マークが描かれ、
B−29を1機撃墜、1機撃破、F6FとF4U合わせて3機撃墜、3機撃破を示している。

されるが写真を良く見ると判る事だが、矢が刺さったマークは撃墜なのでB-29の撃墜を除くと撃墜5撃破1となる。

                                                                                     



 

谷水機の写真で見落とされていたマーキングが存在するので、改めて紹介したい。
尚、撃墜マークに関しては、既に解説を行っているので、ここでは省略 させて戴く。


印刷物の写真では不鮮明だったことから胴体日の丸部分の一部白っぽい箇所は
「被弾して補修したパッチとか、白縁を塗り潰した塗装の一部が剥れている」 とも言われていたが、
オリジナル写真を見たことでこの件は判明した。 
つまり、この白い箇所はパッチや塗装の剥れでも無く白縁部分に描かれたリギング マークで在った事が判った。 
このリギングマークは工場で機体完成時に於いて機体のアライメントを計測して
機軸心や左右対称である事を計測する必要から描 かれたものであり、現在の航空機に於いても機体に何箇所か描き込まれている。 
谷水機の場合はアライメント計測の為にリギングマークの箇所だけ意図的 に塗り残されていたのであろう。


※リギングマークの塗装要領
○印アルハ基準点ノ主測点ニシテ、赤色塗ヲ以テ+ナル標示ヲナスベシ

次にフィレット付近の足掛けステップだが、写真を見ていて気付いたのは、
引き出されたステップにロックピンが掛かる穴が開けられいる事だろう。 
52型丙の一部から改修されている様だが、従来型も混在し整然と判明しない。
足掛けステップのロック穴の追加に伴いロックピンの押しボタンが増設され、
それに伴い足掛けステップ位置を示すマーキング方法が改められた。


185頁下の解説では消火液を発射しておおむね鎮火させた。「栄」21型エンジンとあるが、
一連の火災現場の写真を撮影した185頁の上の写真では、気化器空気取入口が下にある21型零戦と判り、
栄12型エンジン搭載機である。

六二型
六○型の定義は、集成取扱説明書を読む限り尾部の補強であると言われているが、
尾翼の補強だけで何故型式番号が5から6になるのか疑問が生じ る。
又、終戦時に中島飛行機小泉工場に残された六二型と思われる写真の胴体隔壁に機銃の貫通孔が無いとされているが、
写真を見た限りでは貫通孔が在る事が確認できる。
本来、実機への調査も行わずに集成取扱説明書の一文のみで六○型の定義は尾部の補強しかないとは、
断定出来ないはずである。

ロケット式排気管
「ロケット式排気管の装備によって最大速度を増大させる改良が行われた。」と雑誌の解説を見受けられるが、
果たして  本当に排気推力によって増速したと言えるのだろうか?排気エネルギーの利用という研究論文が在るが、
これによれば排気推力はエンジン出力が増加するにつれて排気推力も増大する訳だが、
それに比例して飛行速度が高くなる程、吸入空気抵抗が増加する事になる。
つまり、排気推力と同等の圧縮空気をシリンダへ送らなければならなく、速度の上昇と共に吸入空気抵抗は増大して行く。
実際には排気推力Seと吸入空気抵抗Siとの両方を考えれば、差し引き有効推力S及び有効推力馬力HPsが求められる。
S=Se-Si
HPs=HPse-HPsi
例)時速600kmで飛行時、吸入空気抵抗15,04kg 排気推力22,50kg、
排気推力から吸入空気抵抗を引いた有効推力は7.46kgとなる。
これに0.000885を乗じて有効排気推力馬力は0.0066021HPsである。
 
誉の弱点は気化器だったのか?
「多気筒化によって馬力の向上を図っていたのだが、
気筒数が増えれば増える程各気筒に混合気を分配する事が困難になる傾向があった。
気筒毎に燃料と空気の送り込まれ方が違えばエンジンは快調に運転出来ない。」
混合気の分配不良の原因の一因に気化器が関係したが、
その根本的な問題はエンジンの後方上部に取り付けられた気化器によって
気化された混合気が流下し過給器のインペラとデフェーザ・ベーンによって分配する方式に根本的が欠陥が在ったと言える。
つまり過給器内は、
高速で回転するインペラとデフェーザ・ベーンによって仕切られている事にから過給器のハウジング内部には
部分的な圧力差が発生し、混合気は正圧部よりも負圧部により多く流れ込む事で混合気の分配不良が生じていた。
この事は、水噴射時に於いても発生しデットネーションを引き起こした。 
 
※詳しくは本HP 航空用語解説 誉エンジンの運転時に措ける諸問題の一例を参照
 
 
 
当時の燃料事情は?
南方からの石油資源を確保し利用する事だったが、
戦前輸入していたカリフォルニア産の原油とは違い蝋分が含まれた南方の含蝋原油では、
高オクタンの揮発油の精製に適したサンガサンガ及びボルネオの原油を除き
その大半の原油は低温度で蝋が折出して原油全体を凝固する事から原油の脱蝋処理が必要となり、
しかも直留揮発油は加鉛0.1%で85程度で、加鉛量を0.12%に増加して87に達したが、
第一戦機用の92オクタンの揮発油を製造出来ずその為急遽、高オクタン価の揮発油の製造研究をし、
後にモリブデン触媒を改良したタングスデン系新触媒によって94オクタンの航空燃料を製造する事が出来る様になった。
南方油の還油は昭和17年から始まり当初は油田設備と精製工場の復旧工事が予定よりも早かった事や
輸送タンカーの被害が低かった事から計画量よりも119万トンも多く日本へ還送する事が出来た。
昭和18年は原油設備や精製工場の稼働率が戦前と同等迄回復し、
制空権、制海権も保持していた事からタンカーの被害も少なく計画量よりも70万トンを還送する事ができた。
昭和19年以降に入ると南方の制空権、制海権を共に失い始めタンカーでの還送量が前年の半分近く迄落ち込み
昭和20年に入ると南方との海上交通路は敵潜水艦による海上交通路の遮断が顕著になり、
タンカーの撃沈被害が増大し還送量は0となり危機的な状況であった。
昭和16年12月に措ける保有タンカーは510,464トン(運航可能なものの総トン数)であったが、
昭和20年8月付時点の保有タンカーは僅かに101,196トンでしかなかった。
大戦中に撃沈されたタンカーは凡そ300隻148万トン(載貨重量)に達していた。
尚、これ以外にタンカーから一般貨物船へ改修され保有タンカー数から除外された総トン数が存在する。 
 
年   次    原油    航揮    自揮     重油      計      開戦時の期待量    海軍取得率(%)
昭和17年    1,082           165         155         87       1,489           300                    370(25%) 
   18年        1,907           314         108       317        2,646        2,400                    820(31%)        
   19年          800             30         30         35          195         1,060                    580(55%)
   20年           0       0      0           0        0       
        計       3,789      509    298     599    5,195      6,800           1,770(34%)   
(単位1,000kl)
 
 
※航空機保有数18,700機に対して可動機数9,700機とした場合、これに要する航空揮発油量は凡そ300万klである。
 
昭和19年10月28日、最高戦争指導会議に於いて海軍側の主張により日満支に於ける液体燃料自給体制が策定されたが、
限られた国産原油(天然石油)、人造石油でその多くを期待する事は困難なので、
生産方法が簡易で所要資材の少ないアルコールや松根油に頼る他なく海軍はその増産に力を入れた。
因みに昭和19年下期の日満支液体燃料生産努力目標量は国産原油15万kl、人造石油9万5千kl、
昭和20年では国産原油31万kl、人造石油2万7千klであった。
                                           
  通   牒 (昭和19年5月、海軍航空本部長、海軍省軍需局長連名によって、
海軍航空技術廠長、第一海軍燃料廠長宛に通達)
    (1) 目   的
     エチルアルコールを配合燃料として、その特性並実用価値を決定するにあり
    (2) 実施要領
      (イ) 第一燃料廠に於いては、廠長の定むる処により、新規格航空揮発油を使用し、エタノール使用量対オクタン価向上割合を検討の上、エタノールを混合せる空    
     85揮、空87揮及空91揮を試製し、単筒機械により新規格航空揮発油と耐爆性を比較す。
      (ロ) 海軍航空技術廠は、第一海軍燃料廠より試製航空揮発油の送附を受け、廠長の定むる処により、
単筒試験機械により、水噴射時メタノール及エタノール噴 
     発実験を施行し、耐爆性を比較検討す。尚要すれば、実用機による実験をも施行するものとす。
      (ハ) 第一海軍航空技術廠は(イ)(ロ)の成果により、エタノール混合航空揮発油規格を立案するものとす。
    (3) 略
    (4) 実験終了期日        昭和19年6月10日
 
 軍需二機機密第890号
 
昭和19年9月19日
                                                                                          海軍省軍需局長
海軍航空本部長殿
                航空燃料に関する件照会
南方よりの油の還送極度に逼迫し、加ふるに、国内航揮資源も極めて微々たる状況に鑑み、
逐次アルコールの使用強化を計りつつある次第なるも、
大凡20年1月以降航揮の主体をアルコールに依存さぜるを得ざる実状に有之候条、是が使用に関し可然取計を得度
                 
※第一線機にあたっては、アルコール燃料使用時の問題対策を施す必要から使用には至らなかったが
空技廠、第一燃料廠及第一線部隊と緻密な連携をとりつつ、
アルコール燃料全面使用に関し、凡ゆる困難を克服し、終戦時に於いては、殆ど使用出来る状態であった。
 
発動機燃料系統腐蝕対策
気化器浮子について、栄、誉等コルク浮子を金属浮子への転換
 
金属鋲接タンク及木製増槽の油密塗料
NS375又はN8,3 号アクリヨン対アルコール油密塗料の決定
 
燃料消費量増加対策
現用燃料管では集合タンクへの燃料の落下不十分に対する対策
 
燃料分配不良対策
アルコール燃料使用時に於ける現在の気化器では実用性が低く燃料噴射式の研究
 
中島製62型
昭和20年2月25日、4月3日の小泉工場の空襲による被災は、生産ラインへの供給部品不足を生じ、
この為52型丙から62型へ移行する過渡期には仕 様の異なる様々な機体が存在していると考えられる。 

62型では尾翼の補強が施され、水平安定板と胴体との結合ボルトNi-Cr-Mo鋼が12mmと拡大されたものの、
金属材料のニッケル不足から代用材 を用いる事になったが、これら代用品が折損し易かった事から
尾翼補強対策が完全に施されたのはかなり遅かったと考えられる。 

戦後小泉工場のエプロン前で撮影された「新造された62型」の写真が存在するが、
一番手前の機体は主脚カーバー下部に排気焔によってカーボンが付着し てる事から、
少なくとも複数回飛行したことを示している。 
この機体の尾翼部分の塗り分けラインが従来型と同じで在るのに対し、後方に写っている機体
の尾翼付近の塗り分けラインが標準的な62型の塗り分けラインになっているのは、
尾翼補強が施された機体とそうでない機体の差異を示しているのかも知れない。




inserted by FC2 system