Photo BBS |
ガダルカナル攻撃 17年8月25日 陸攻隊行動調書 各隊別 |
参考 防衛研究所図書館所蔵資料引用 防衛研究所ホームページTOP 図書館はこちらへ 史料閲覧室 海軍陸上攻撃機隊 発行 今日の話題社(昭和51年11月30日発行) |
ラバウル 「ギ」号作戦(ガダルカナル飛行場攻撃) 17年8月25日 指揮官 鍋田美吉大尉(木更津空)
|
|
|
参考
海軍陸上攻撃機隊
発行 今日の話題社(昭和51年11月30日発行)
中攻隊のサムライたちより 著、小西良吉 二飛曹(のち少尉)
ガダルカナル島敵上陸のその時の様子が書いてあるので参考にしたい
「昭和17年8月7日米空母機が再びツラギを攻撃し、あまつさえ、対岸のガダルカナル島に上陸した
そんなバカな、話が違うぞ、搭乗員は騒いだ、味方航空隊の進出を知る我々である
すでに零戦3〜4機その島に進出を終わり、明日は三沢空の中攻隊が新飛行場に到着する、
豪州制圧の出城が落成寸前だ まさにとんびに油揚げさらわれた形であった。」とある
本文にあるようにこの日の搭乗員表情が分る。
本をそのまま書けばいいのだが長くなるので短く編集し追加分も入れた。
この日はニューギニア南東部ラビ飛行場に対し爆撃が予定され、爆弾を積んでいた、
もとより攻撃目標は直ちに変更された、本来ならば敵上陸船団、護衛艦隊には雷撃がもっとも効果がある
しかし魚雷は間に合わないため、爆弾装備のまま、台南航空隊18機の直掩で一式陸攻27機で飛び上がった
このときは元山空の九六陸攻は後方に引き上げていた。
この日陸攻隊は高度6000でサボ島に進入し、このときの様子は昆虫の見本箱のようだった、そして
目標選択に迷うほどで爆撃進路にセットしたら、ピンで止められていた昆虫が再び動き出すようだった
まさに蜂の巣を突付いた状態だったいう
この日の爆撃の弾幕はジャングルように濃密だったが、戦果ほとんどなく1隻〜2隻にあたったようにも
と小西氏の本に書いてあるので、爆弾と魚雷では大きな差があったに違いない
グラマンに襲われれ陸攻隊3機未帰還、結局、敵だけが戦果を得た形になった。
8月7日の夕方三沢空がブナカナウに到着、
8月8日大型機雷撃隊の昼間攻撃、は被害が大きく26機中18機未帰還
三コ中隊の指揮官3人とも戦死したが戦果は、駆逐艦一隻(米軍記録)のみ
米軍の艦船の対空は珊瑚海海戦時より強力になり、四空および三沢空の被害(兵力)は大きくなるばかりであった。
中攻隊のメンツにかけて手をゆるめるわけにはならないと敵を叩くそれのみだったらしい。
8月20日は夜から21日にかけて陸上部隊が総攻撃を決行したが敵の砲火のため失敗に終わる
この頃カビエンに木更津空が到着するが中攻三コ航空隊がそろったが、兵力もそう多くなく
さほど変わりはない
何日と書いていないため不明だが8月の雷撃の話である
木更津空と寄せ集めの四空、三沢空で合計23機、台南航空隊機に守られながら、
鍋田美吉大尉指揮のもと魚雷を抱いてルンガ沖を目指す。
前日の偵察機の報告で敵飛行場は修復も終わり鉄板を敷き詰めて飛行可能であること、報告されている
陸攻隊は予備弾倉を余分に積み込み20mm(38発入り)を4個のところ6個、
7.7mm(96発入り)6個のところ8個装備、
上空に敵戦闘機なし、ゆるやかに降下し1500mからルンガに殺到し敵の高射砲がはげしい中
3つの編隊となり、弾幕がはげしい。敵30〜40隻がいるが動きは速く、敵艦船からの曳光弾が飛び交う
遼機が火を噴こうとも、わが機に弾があたっても、穴があいても、突入のみ
緊張の中、魚雷投下、必死で魚雷投下したが確認するヒマはなく、機銃を打ち続けて巡洋艦の上を飛び越す
対空砲火にさらされながら、集合場所でもあるマライタ島北方上空に向うが、右旋回すると敵飛行場上空を通過するため
本来の指示は対空砲火を避けながら左旋回であるが、鳥海機長はなるべく早くこの場から早めに離れるため、
右旋回してしまった山を越えたあたりで敵戦闘機がいないのでホットしたが真珠海に出たら
グラマンF4F3機上空から襲ってきた必死ではじめは200メートルぐらいで付いてきたが
距離6〜700メートルに近づくとF4Fは機銃を撃ってくる、7.7mmと20mmで応戦する
1時間30分の空戦で被弾はあったものの何とか逃げ切り
後で後方からきた中攻隊と合流、ラバウルに3機編隊を組んで帰還する
帰ってきた中攻隊6〜7機であった。
この日の戦果巡洋艦2隻、輸送船4大破であった。
四空は開隊当時三コ中隊27機であったが半年で40機失った
再建のため9月25日ラバウルから去った。