連載 「ガダルカナル日米死闘の空」
「-ゼロ戦対グラマンワイルドキャット-」
Deadly Skies in the U.S.-Japan Air Battles over
Guadalcanal -The Zero vs. Wildcat-

ラバウル方面
南東方面海軍航空作戦経過概要

Summary of Air Campaigns of the Imperial Japanese Navy in the Rabaul
and South Eastern Pacific Theater


昭和17年8月7日にガダルカナル島を攻撃した台南空のベストメンバー17名のうち、
坂井三郎さん以外に11名が10月25日までに戦死または撃墜され、
台南航空隊は実質的に壊滅しています。
台南空と戦ったのは、8月7日がサザランド率いるサラトガと
ファイアーボーフ率いるエンタープライズのグラマン戦闘機隊で、
笹井醇一中尉が戦死した8月26日はスミス率いるVMF-223/212です
(カクタス航空隊;海兵隊のエース、
18.5機撃墜のカール、12機のエバートンと12.5機のフレージャーを含む)。
高塚寅一飛曹長と松木 進二飛曹、羽藤一志二飛曹が撃墜された9月13日は、
スミスのVMF-223とゲーラー(13機撃墜)率いるVMF-224飛行隊、
サラトガからヘンダーソン飛行場に移動したシンプラー率いるVF-5が迎撃しています。
太田敏夫一飛曹と吉村啓作一飛が戦死した10月21と25日には、
台南空はフォス(26機撃墜)のVMF-121と
バウアー(11機撃墜)率いるVMF-212飛行隊と戦っています。
スミスのVMF-223も8月20日にガダルカナルに最初に降り立った
19名のパイロットのうち9名を失って、10月11日に本国に撤退していますが、
スミスはこの間に19機を撃墜しています。
8月30日には元台南空隊長の新郷英城大尉
(この日は翔鶴と瑞鶴の戦闘機隊を率いてブカから発進)を含む
4機の零戦がスミスによって撃墜されています(新郷氏は脱出後救出)。
しかし、カールは9月9日に、スミスは10月2日、
フォスは11月7日、バウアーは11月14日
(第三次ソロモン海戦の比叡沈没の翌日)にそれぞれ撃墜されており
(バウアーのみ海上に脱出した後戦死)、長距離攻撃という極端な悪条件の中で、
台南空などラバウル航空隊がいかに奮戦したかがわかります。

中でも坂井さんが出撃した8月7日の空戦では、
サザランド以下のサラトガの8機の戦闘機中隊(VF-5)は
プライス、タベラー、ダリー、ホルトの4機が河合四郎大尉の率いる
第2中隊(河合、吉田、山崎、徳重、西浦)と西澤広義一飛曹によって瞬時に撃墜され、
VF-5の指揮官シンプラーはサザランド中隊は”Japanese meat-grinder”に
かけられたと表現しています。
サザランドは有名な「大空のさむらい」の中で坂井さんと渡り合ったグラマンのパイロットです。
サザランドは坂井さんが上空から見たように、柿本と羽藤の零戦を追っていましたが、
後ろから山崎市朗平(河合大尉の3番機)に攻撃されました。
サザランドは降下、急上昇の操作によって突っ込み過ぎた山崎を完璧に追尾しましたが、
機銃の故障で撃墜できませんでした。
サザランドは、羽藤、山崎と柿本のだれかが旋回して攻撃してくるたびに
急旋回によって機首を向け射弾を回避しました。
しかし、この操作によって後ろからも撃たれることになり、
射撃を受けるたびに座席後部の防弾板に7.7ミリ機銃弾が命中しましたが
いずれも致命傷とはなりませんでした。
その時、サザランドは坂井さんの零戦が遠くから射撃しながら突っ込んでくるのを見ました。
その後の経過は、「大空のさむらい」の中で、詳述されています。
坂井さんの後ろになってもサザランドが撃ってこなかったのは機銃が故障していたからでした。
また、8月7日の台南空飛行隊編成調書の公式記録の中で、
サザランド機の撃墜が坂井、羽藤、山崎の共同撃墜として記録されているのは、
このような事情によるものと思われます。
サザランドのグラマンF4F、Bu−5192号の残骸
は、56年後の1998年2月13日に、
マイケル クラリングボウルド氏によってガダルカナル本島のジャングルの中で発見されています。
坂井さんの記述どおり、エンジンのシリンダーが2本20ミリ機銃弾によって吹き飛ばされ、
機銃の故障も確認されています。
位置は、エスぺランス岬の東14マイル、海岸線から2マイル入った日本軍の支配地域の中でした。
サザランドは、原住民のナナに助けられて脱出し、
8月10日にアメリカ海兵隊の前線にたどりつきました。
サザランドはその後、5機の日本機を撃墜し終戦を迎えましたが、
1949年飛行機事故で亡くなりました。
クラリングボウルド氏は、サザランドのグラマンワイルドキャットBu-5192号の機体の破片を2個、
坂井さん本人に送りました。
氏は、1998年の暮れに坂井さんから、自筆の不撓不屈の書と礼状を受け取っています。
サザランドを撃墜した坂井さんは、
単機で坂井さんを奇襲した空母ワスプのVS-71急降下爆撃隊のSBDドーントレスを一撃で撃墜しました。
パイロットのアダムスは負傷しながらも脱出できましたが、
後部銃手のエリオットは坂井さんの射撃によって機上戦死しました。


8月7日のガダルカナル島ルンガ上空での台南空零戦隊と
空母サラトガ、エンタープライズ、ワスプのグラマンF4Fワイルドキャット戦闘機隊の
空戦はいろいろな意味で歴史的なものでした。その一つに、
坂井さんの「大空のサムライ」の詳細な記録が残っていること以外に、
最近アメリカ側の記録も調べられ、空戦がどのように展開したのかがわかってきたことがあります。

中島中佐の第一中隊6機と河合大尉の第二中隊5機は、この日、制空隊として江川廉平大尉指揮の4空の一式陸攻隊27機と
直援の笹井中隊6機(坂井さんはこの第二小隊長でした)よりも先行しました。
最初にサンタイサベル島の沖合いで、エンタープライズのファイアーボーフ大尉が指揮する6機のグラマンF4Fと空戦し、
ファイアーボーフ大尉を含む3機を撃墜しました。
続いて、サラトガのサザランド大尉指揮の8機のグラマンと激しい空戦を展開し、その4機も瞬く間に撃墜しています。
ファイアーボーフ大尉は、撃墜される直前に1機の零戦を撃墜しました。

この時の制空隊の空戦の模様は、後続する坂井さんらの笹井中隊からもよく見えました。
坂井さんは「大空のサムライ」の中で以下のように書いています。
「あっ、空戦がはじまっている。と私はその光で直感した。
そして、なおもよく目を凝らして見つめると、そのまたたく閃光をぬって、
黒い細い線が数条、申し合わせたように弧を描いて流れはじめた。
敵か味方かわからないが、落ちてゆく飛行機が曳く黒煙である。
………..前方の空にまた火花が散った。いよいよ大きな真っ赤な火閃が、パッ、パッと見える。
……….その空戦の空がだんだん近づいて、いまではキラッ、キラッと光りながら落ちてゆく機影さえ見える。
ざっと数えて約十機ほどが数えられた。相当に激しい空戦が行われていることがわかる。
飛行機が織るように飛びかわしている。敵―味方、入り乱れての混戦だ。
敵もなかなか勇敢に戦いをいどんでいる。その戦意はあなどりがたいものがあるようだ。」

中島中佐の手記によれば、制空隊のこの最初の空戦が一段落した時、
中島中佐は旋回しながら指揮官機の周りに列機を集結させました。
中島中佐は集まってきた零戦の中で、一番近くにきていた二番機の西澤機の胴体下部に、
ベットリと潤滑油が流れているのを見ました。
中佐は手信号で「潤滑油が洩れている、単機で至急ラバウルに帰れ」と伝えましたが、
西澤一飛曹は再び現れた十数機のグラマンワイルドキャットの編隊にむかって突撃して行きました。
後に、西澤は中島中佐に「どうせ帰れぬものなら、敵機を落とすだけ落として自爆しようと思って反転して行きましたが、
敵がいなくなってぶつかる物がないので仕方なく帰ってきました」と答えています。
これは、この日の西澤機被弾説の根拠となっている記述ですが、
「台南空飛行隊編成調書」の公式記録には被弾の記録がないことから、
潤滑油の洩れがあったものの、被弾によるものではなかったと考えるのが妥当であろうと思われます。

西澤一飛曹が、グラマンに肉薄したのは、アメリカ側の記録でもうかがい知ることができます。
サラトガのサザランド中隊(VF-5)の第二小隊長であったハーバートブラウン大尉は、
中島中佐の第一中隊と交戦した時、前上方から1機の零戦の攻撃を受け、
その完璧な射撃によって操縦席に被弾し、負傷しました。
この零戦はブラウン大尉のグラマンと翼を並べるようにくっついてきました。
零戦のパイロットとブラウンはお互いに見つめ合いましたが、
ゴーグルをはめたその零戦パイロットはにやりとしておもむろに手をふり前方に進みました。
ブラウンは零戦の後ろから数連射機銃を放ちましたが、その零戦は、身をかわし瞬く間に飛び去っていきました。
機銃弾は命中しませんでした。今では、このパイロットが西澤一飛曹であったと断定することはできませんが、
米側関係者は高度な操縦技術と射撃の腕前、騎士道的な行動から西澤機の可能性が高いと考えています

8月7日の空戦で負傷した坂井さんが12日にラバウルを去って2週間後の26日に
笹井中尉はカクタス航空隊VMF-223のマリオンE. カールに撃墜されました。
台南空とカクタス航空隊の最初の空戦は、8月21日、
VMF-223がはじめてガダルカナルヘンダーソン飛行場に到着した翌日のことでした。
VMF-223の隊長ジョンLスミス以下4機は、
前夜の一木支隊先遣隊を掃討するため哨戒と地上掃射を行いました。
一方、河合大尉率いる台南空零戦隊13機
(第2中隊は1小隊笹井、米川、羽藤、2小隊高塚、松木、吉村)は、
36機の一式陸攻を護衛してフレッチャーの米空母部隊を探しましたが発見できず、
戦闘機隊のみでガダルカナルを強襲しました。
ルンガ岬とサボ島間の空域で、スミス小隊4機と笹井中隊6機が交戦し、
スミス以下4機のグラマンF4Fは、多数の命中弾を受けヘンダーソン飛行場に
不時着し使用不能となりましたが、パイロットの損失はありませんでした。
台南空は全機が帰還し、羽藤、高塚、吉村が4機の撃墜を報告しています。
米側資料によると、スミスはこの日1機の零戦に命中弾を与え、
後にサボ島でその残骸を発見し撃墜を確認したとされていますが、
この零戦は8月7日に未帰還行方不明となった
吉田素綱一飛曹か西浦国松二飛曹とみるのが妥当であろうと思われます。吉田一飛曹は、
この年の2月に4空の隊員としてラバウルに進出し、
後に台南空に編入されました。日華事変以来12機の撃墜を記録したベテランでしたが、
この日河合大尉の二番機、制空隊として先行し、
最初にファイアーボーフ中隊、続いてサザランド中隊と交戦し未帰還となりました。
吉田氏の最後を見たものはいませんでした。
ガダルカナルでは、8月8日にも台南空の木村 裕三飛曹と
林谷 忠中尉(笹井中尉と同期の海兵67期)の零戦が撃墜されましたが、
木村三飛曹はSBDドーントレス急降下爆撃機の後部旋回機銃によって火を吹き、
ルンガ沖の海上に自爆、林谷中尉は水上偵察機2機と空戦し同じくルンガ沖に撃墜されています。)
スミス氏は、本国へ帰還した後、その年の11月10日のアメリカ航空局とのインタビューで
8月21日のサボ島上空での笹井中隊との空戦について次のように報告しています。
「私は、2人の少尉と1人の軍曹とともに4機で哨戒飛行をしていた。
サボ島のすぐ南をラッセル島の方向に飛行していた時、
6機の零戦が真っ直ぐに我々の方に向かって来るのが見えた。
距離はおよそ800メートル、高度は150メートル程我々よりも高かった。
私は、以前に覚えた機体の形から、すぐに零戦だとわかった。我々は敵機の方向に旋回した。
そして零戦も我々の方に旋回してきた。それから後は乱戦になった。
ただ覚えていることは、狙った零戦が私の方に腹をみせた一瞬を捉えて、
私はその零戦に0.5インチ(12.7mm)機銃弾を打ち込みそのそばを通り抜けた。
その時、2機の零戦が背後から攻撃して来るのがわかった。私はへンダーソン飛行場に向かって逃げた。
零戦は長距離を進出して来ているので、我々が機首をへンダーソン飛行場に向けるか東に向けさえすれば、
その追跡を逃れるのは容易だった。我々が彼らを恐れていたように、彼らも我々を恐れていた。
これは我々がガダルカナルに着いてから最初の空戦だった。この空戦は部下にとっては非常によかったと思う。
零戦が無敵ではないことがわかったし、我々は多数の命中弾を受けたがそれでも基地に帰ることができた。
この日以来、私の部下たちはグラマンワイルドキャットの頑丈さに大いに自信をもった。」
台南空戦闘機隊は、8月22,23,25日とガダルカナル攻撃に出撃し
(22,23日は天候不良のため引き返す)、運命の26日を迎えます。
笹井中尉は、25日に続いての出撃でした。

8月26日に笹井中尉を撃墜したマリオンE. カールは当時27歳で、
オレゴン州立大学工学部を卒業した後、1939年(昭和14年)に海兵隊航空隊に入隊しました。
カールは8月20日にVMF-223グラマンF4Fワイルドキャット戦闘機隊19名の1人として
ガダルカナルヘンダーソン飛行場に着陸し最初のカクタス航空隊(通称サボテン)になりました。
カールは同じくVMF-223のキャンフィールド、コリーとともに6月4日のミッドウェー海戦において、
グラマンF4Fで友永大尉率いる108機の第一次攻撃隊を迎撃し、36機の母艦零戦隊と空戦しています。
カールが日本機と交戦した最初の戦闘でした。
当時カールは、ミッドウェー基地のVMF-221戦闘機隊に所属し、
この日午前6時前に20機のバッファローと5機のグラマンF4Fで出撃しました。
カールは直上からするhead-on-attackによって最初に99式艦爆1機を捉え射撃しました。
艦爆は黒煙を噴き降下していきましたが、撃墜を確認できませんでした。
続いて単機でミッドウェー基地の上空にもどり、
地上掃射に入ろうとした空母加賀のゼロ戦隊を後方から奇襲しました。
単縦陣で基地を掃射する直前の1小隊3番機を攻撃し、
この零戦は火炎に包まれてミッドウェー基地の滑走路の横に撃墜されました。
カールはただちに2番機の零戦を照準器に捉えましたが、
カールの攻撃よりも一瞬早く零戦の小隊長機が急旋回してカールのグラマンF4Fワイルドキャットを捉え、
20ミリ機銃弾を命中させました。カールと小隊長機は激しく機動し、旋回戦を演じましたが、
カールは雲を利用してなんとか逃れることができました。
この日VMF-221の25機のうち隊長のパークス大尉以下バッファロー16機、
F4F2機が零戦隊によって撃墜され、VMF-221は事実上壊滅しました。
零戦隊はカールによって撃墜された加賀の1機を含めて2機が失われたのみでした。
この時の零戦隊とVMF-221の空戦の模様を赤城の艦爆隊分隊長の
山田大尉は報道カメラマンの牧島貞一氏に「敵の飛行機はほとんどやっつけた。
ちょうどマッチをすってポイッと投げたみたいに、スーと火の玉が落ちていった」
(炎の海;牧島貞一、光人社NF文庫)と語っています。


カールの2度目の空戦は、笹井中隊と交戦する2日前の8月24日でした。
8月21日に台南空笹井中隊(1小隊笹井、米川、羽藤、2小隊高塚、松木、吉村)とはじめて交戦し、
撃墜寸前まで追い込まれたスミス隊長が率いるVMF-223の14機のグラマンF4Fは、
第2次ソロモン海戦で空母龍驤から出撃した納富健二郎大尉率いる零戦隊15機と
村上敏一大尉指揮の97式艦攻6機をマライタ島とフロリダ島間の海上で迎撃しました。
カールは高度2700メートルで飛行中の97艦攻をoverhead attackによって攻撃し、
一人でその2機を撃墜しました。
続いて、リンドレー軍曹を追尾して攻撃中の零戦を背後から射撃し、これも海上に撃墜しました。
納富大尉以下の零戦隊もよく奮戦し、カールの小隊はバラバラになり単機空戦を余儀なくされました。
納富大尉の中隊には、
この日龍驤がサラトガとエンタープライズの攻撃隊によって撃沈されたためブカ島に不時着し、
後に台南空に転じて54機撃墜を記録する奥村武雄上飛曹もいました。
VMF-223はベイリー小尉以下3機のグラマンF4Fがゼロ戦によって撃墜され3名のパイロットが戦死しました。
日本側は、村上大尉以下3機の97艦攻が撃墜され、戦闘機隊もカールによって撃墜された1機を含めて
零戦2機が撃墜され1機がマライタ島の近くの島に不時着しました。
零戦の1機は、編隊からはぐれて単機で飛行中のところを、8月22日にヘンダーソン飛行場に到着した
陸軍第67飛行隊ブラノン大尉とフィンチャー少尉のP-400に追尾され、
20ミリ砲の命中弾を受けて撃墜されました。
残りの97艦攻隊はそれでもヘンダーソン飛行場爆撃の任務を果たし、龍驤の上空にまで帰還しましたが、
結局龍驤の飛行機隊は母艦の沈没によりすべてがブカか海上に不時着して失われました。


翌25日午前、河合大尉と笹井中尉が率いる12機の台南空零戦隊に護衛された23機の一式陸攻が
ヘンダーソン飛行場を爆撃しました。
この日陸攻隊は、開戦時にプリンスオブウェールズとレパルスの攻撃に参加した木更津空の飛行隊長鍋田美吉大尉が、
      木更津空から9機、三沢空から8機、4空から6機の合計23機を率いて出撃しました。
ガダルカナル攻撃8月25日陸攻隊編成調書
この空襲では、陸攻隊は飛行場の指揮所のまわりに多数の爆弾を投下することに成功しました。
台南空零戦隊は、爆撃終了後、スミスとカールが率いるVMF-223のグラマン戦闘機6機を
ガダルカナル本島上空に認めましたが空戦は行われませんでした。
しかし、前日に続いての迎撃戦で、VMF-223は、20日にガダルカナルに到着して
わずか5日目のこの日の終わりまでに、3名のパイロットを失い、
グラマンF4Fワイルドキャットの稼動機数は19機から11機にまで減っていました。
米側からみても、この8月末の5日間の航空戦がいかに厳しいものであったかがわかります。
8月20日以降、台南空、特に笹井中隊は2回VMF-223グラマン戦闘機隊と交戦していますが、
この時点ではまだ1機の損害もなく、VMF-223に対して優位を保っていたといえます。
しかし、マリオンE. カールはわずか3度の日本機との空戦で零戦2機、
97式艦攻2機の合計4機を撃墜し、翌26日の笹井中隊に対する迎撃戦では
自信に満ちてヘンダーソン飛行場を離陸したのでした。
一方、台南空笹井中尉は、22,23日は途中で引き返したものの、21、22,23,25日と連続して
「阿修羅のごとく」(サムライ零戦記者;吉田一氏、光人社、(NF文庫もあり)往復2000キロ、
飛行時間にして8時間ものガダルカナル島空襲に出撃し、
26日の朝にはその疲労は極限に達していたことが推測されます。
さらに、21日と25日の2回のVMF-223との空戦で、
笹井中尉自身1機もグラマンF4Fを撃墜できなかったことが、
この頃リヒトホーヘンの撃墜数を超えることを目標に掲げていた
(8月14日付けで両親に送った有名な手紙)笹井中尉に一種のあせりに似た感情を抱かせ、
それが、26日のカールに対する無謀とも思える単機深追い攻撃につながったのであろうことは想像できます。
この手紙について、坂井さんはその著書「大空のサムライ」戦話編(光人社)の中でこう書いています。
「私は、戦後、その手紙が公表されるまで、笹井中尉の“日本のリヒトホーヘン”の話は、
かれから聞いた記憶がありません。あれだけ、“血肉分けたる仲ではないが、
なぜか気が合うて忘れられぬ”笹井中尉でありましたが、心のその奥の奥で、
こっそりとリヒトホーヘンになりたいという夢をふくらませていたのでありましょう。
その笹井中尉の最後の願望をしるした手紙を、戦後、はじめて眼にしたとき、
私は、笹井中尉のロマンチシズムを、ひしひしと感じたことでありました。
そして同時に、それを瞬時といえども外に見せなかった彼の心の雄々しさに、感じ入ったことでありました。.
.しかし、笹井中尉のそのころの実力からすれば、それは夢のまた夢のような願望でありました。
ひとというものは、みずからの願望、目標というものをつねに高所におき、
それに向かってわき目もふらずに突き進んでいくことによって、みずからを高めることが可能なのであります。
笹井中尉の大きな願望と、その後のかれ自身の精進とを考え合わせ、
また、日一日とかれが登りつめていったリヒトホーへンへの嶮しい道すがらとを、
今日あらためて振り返って考えるとき、私は、いっそうその感を深くするのであります。..
笹井中尉は、8月26日、ついに24歳を一期としてガダル上空に散りました。」
いずれにしても坂井さんのいない台南空笹井中隊では、
8月7日のサザランドや21日のスミスとの空戦でも明らかなように、
グラマンF4Fに命中弾を与えて撃破することはできても、
パイロットに致命的な打撃を与えて撃墜することができませんでした。
こうして8月7日から25日までの日米双方の記録を調べてみると、
仮に21日のVMF-223との最初の空戦で坂井さんがスミス隊長を撃墜していれば、
その後のガダルカナル航空戦はまた違った展開を示したのではないかと思われてなりません。
8月26日朝7時前、笹井中尉率いる9機の零戦隊はラバウル東飛行場(ラクナイ)を離陸し、
上空をゆっくり旋回しながら、ブナカナウの西飛行場を離陸してきた一式陸攻隊17機と合流し、
一路ガダルカナルを目指して南下して行きました。

8月7日以降の台南空の戦闘についての記録は断片的なものしかありません。
特に笹井中尉戦死の前後の状況を扱った日本側の記録は、豊田 穣氏の「新・蒼空の器」(光人社)と
吉田一氏の「サムライ零戦記者」(光人社)、高城 肇氏の「非情の空-台南空零戦隊撃墜王物語」(光人社)、
秦郁彦氏編集の「ゼロ戦20番勝負」(PHP文庫)の4つくらいしか見当たりません。
8月21日に空戦があったことを記述しているのは、私の知る限り、
亀井 宏氏の「ガダルカナル戦記、第一巻」(光人社)と
秦 郁彦氏の「太平洋戦争航空史話、上」(中公文庫)のみです。
吉田氏の記録からはその時のラバウル基地の雰囲気がよく感じとれます。
笹井中尉の戦死が確定的となった8月26日夜、
「指揮所裏に生えたジャスミンの木の、夜目にも白く浮いた花の下で、
そでに顔を埋めてすすり泣く飛行服姿が哀れだった。」と書いています。

翌8月27日も、台南空(4機)と2空(2機)合わせて6機の零戦が撃墜され、
6名のパイロットを一度に失うというラバウル戦闘機隊にとっては最悪の日になりました。
この日、ニューギニアのブナ飛行場に進出していた7機の零戦が離陸直後の低速飛行中にP39に奇襲され、
機首に装備された37ミリ砲の命中弾を受けて次々に爆発墜落したものです。
角田和男さんだけが生き残りました。
この空戦で、8月7日に台南空のベストメンバー18名に選ばれ、
高塚寅一飛曹長の二番機としてガダルカナル攻撃に参加した山下貞雄一飛曹が戦死しました。
そして既にこの27日までに、18名のうち、
坂井さんと山崎市郎平二飛曹が負傷で戦列を離れ、前日の笹井中尉と合わせ5名が撃墜され戦死、
1名が捕虜になっています(河合中隊第二小隊二番機として参加した徳重宣男二飛曹が
8月17日にポートモレスビー空襲で戦死、山崎二飛曹は8月26日にブナ飛行場で不時着負傷、
8月27日には坂井小隊の二番機柿本園次二飛曹がニューギニアで不時着捕虜)。
米側の記録としては、これまで何度もとりあげていますが、
先ごろ翻訳されたエドウインP. ホイトの”Guadalcanal”
(邦訳「ガダルカナルの戦い」井原裕司訳、元就出版社)が
8月7日から日にちを追って非常によくかつわかり易く書かれています。
豊田氏の記述では、8月26日笹井中尉は河合大尉以下の第二中隊長として出撃したとありますが、
この日の台南空飛行隊編成調書(防衛研究所、図書館所蔵;最近、立風書房の「実録日米大航空戦」に掲載された)、
をみれば、笹井中隊のみ合計9機で出撃したことがわかります。
豊田氏が1日前の25日の出撃と混同された可能性もあります。
さらに豊田氏の記述では第三小隊長は西澤一飛曹となっていますが、
実際は高塚寅一飛曹長で、西澤一飛曹はこの日も25日の攻撃にも参加していません。
この点は、坂井氏の「大空のサムライ」の中にも、豊橋で西澤氏と再会し、
笹井中尉が戦死した8月26日のことを聞くくだりがあり、
西澤一飛曹本人がこの日の空戦に参加したかのように発言している記述があります。
この日の出撃は、笹井小隊は二番機にベテランの大木芳男一飛曹(18機撃墜)、
三番機にガダルカナルの経験豊富な羽藤一志二飛曹(19機撃墜)を配し、
第三小隊は高塚寅一飛曹長(16機撃墜)以下、二番機に松木進二飛曹(9機撃墜)、
三番機に吉村啓作一飛(12機撃墜)で、8月7日以来何度もガダルカナルに出撃し、
21日にVMF-223戦闘機隊の隊長スミスを圧倒した時のメンバーです。
ところが、第二小隊は、笹井中尉(海兵67期)の1年後輩の結城國輔中尉(海兵68期)以下
二番機に石川清治二飛曹、三番機に熊谷賢一三飛曹という編成です。
この三人はいずれも坂井氏が台南空のベストと呼んだ8月7日の攻撃メンバー18名には選ばれておらず、
ガダルカナルへの飛行経験もほとんどありません。
つまり、この日の笹井中隊には第二小隊に大きな弱点があることがわかります。
それは1秒を争う戦闘機どうしの空戦において、
中隊を率いる中隊長としての笹井中尉の戦闘行動を大きく制約することになったに違いありません。
スミスとカールが率いるVMF-223グラマン戦闘機隊は、まさにこの第二小隊を潰し、
笹井中隊を切り崩したのでした。

8月26日、笹井中隊9機は、木更津空と三沢空の一式陸攻17機を援護して、
午前11時24分ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場上空に突入しました。
これより先、攻撃隊はブーゲンビル島南端のショートランド、
ニュージョージア諸島のベララベラ島、コロンバンガラ、ムンダ、レンドバ島を経て、
はるか左横にサンタイサベル島を見ながら、ラッセル島の上空を通過し、サボ島の上空に達しました。
5日前にスミス小隊のグラマンワイルドキャット4機を
笹井中隊(1小隊、笹井、羽藤、柿本、2小隊、高塚、松木、吉村)の零戦6機が撃破した空域です。
サボ島の上空からは、右手にガダルカナル本島の海岸線とエスペランス岬、
その向こうにカミンボ、左前方にフロリダ島の南岸とツラギ、
そのはるか向こうにマライタ島の海岸線が望見されます。
ここは、およそ30km前方一直線上にあるルンガ岬の丘陵地帯の向こう側に
ヘンダーソン飛行場を望む位置です。
この同じルートを辿って、9月にガダルカナル上空に達した報道班員の吉田一氏は、
「サムライ零戦記者」(光人社)の中で、
笹井中尉が最後にみたであろうこの「死闘の空」を次のように書いています。
「私たちはすでにガ島を目前にしていた。エスペランス岬を右に、サボ島の真上を飛び、
フロリダ島を左に見ながらルンガの東方を南下した。
はるかにルンガの滑走路が青い海と緑の森にはさまれた褐色の線を幾本か引いている。」
ミッドウェー海戦で空母からの攻撃隊に先立って、勇敢にも護衛戦闘機なしで
日本の空母部隊を先制攻撃し戦死したSBD急降下爆撃隊隊長ヘンダーソン海兵隊少佐の名前を冠した
ヘンダーソン飛行場はルンガ岬の海岸線から約2km内陸に位置し、
主滑走路が1本、東南東から西南西に延びています。
その4km東方には、つい6日前、一木支隊が壊滅したテナル川の河口があり、
その一帯から上陸地点のレッドビーチにかけてアメリカ海兵隊が布陣していました。
笹井中隊と一式陸攻の編隊が、午前9時30分頃にブーゲンビル島の上空を通過した時、
ブインを見下ろすマラビタヒルに配置されていた沿岸監視員のポールE.メーソンは、
26機の日本の攻撃隊がガダルカナルに向かっているという通信を送りました。
この通信はパールハーバーを経由してヘンダーソン飛行場に転送されました。
笹井中尉の編隊がガダルカナル島上空に達する30分前の午前11時前、
スミス隊長と副隊長格のカールが率いるVMF-223グラマンワイルドキャット戦闘機隊は
稼動全機が邀撃のためヘンダーソン飛行場を離陸しました。
この日に笹井中隊9機を迎撃したグラマンワイルドキャットの機数については
確実な記録が見当たりません。
豊田 穣氏の「新・蒼空の器」と秦 郁彦氏編集の「ゼロ戦20番勝負」では15機と記載されています。
アメリカ側の記録では、前に述べましたが、25日夕の時点で、20日に到着した19機の内、
5機が撃墜されるか不時着して失われ、3機が修理中と書かれています。
一方、ホイト氏は「ガダルカナルの戦い」の中で、
26日の空戦の後飛行可能なワイルドキャットは11機に減ったと書いています。
この日コリー少尉が撃墜されていますので、迎撃したグラマンワイルドキャットの数は、
12機から14機の間と推測されます。
スミス率いるグラマン戦闘機隊は、太陽を背にして十分な高度をとるべく急上昇を続けました。


ガダルカナル航空戦で、日米ががっぷり四つに組んだ戦いは、8月20日から台南空が撤退する10月下旬まででした。
それ以後は、グラマンF4Fの損失は急激に減っており、日本軍が押しまくられていることがわかります。
この初期のガダルカナル航空戦を支えたのはなんといっても台南空です。
そして日華事変以来のエースを多数揃えたこの最強の零戦隊もガダルの「死闘の空」に散りました。
歴戦のエースと零戦21型を駆る台南空がカクタス航空隊のグラマンF4Fに敗れた理由は、
長距離の進出による搭乗員の疲労と沿岸監視員の事前通報、進撃戦か迎撃戦か、などいろいろ言われていますが、
やはりその鍵は零戦の格闘戦での主武器である7.7mm機銃対グラマンの防弾装備、
グラマンの6門の.50 caliber(12.7 mm)機銃対零戦の装甲にあったように思われます。
カクタス航空隊のエースとなった、
スミス(撃墜19.0)、カール(18.5)、フォス(26.0)、バウアー(11.0)、エバートン(12.0)は
すべて1度はガダル上空の空戦で多数の命中弾を受け撃墜されていますが、
いずれの場合も搭乗員の生命に異常はなく脱出後生還しています(バウアーのみ脱出後行方不明戦死)。
これらのエースたちを撃墜した零戦隊の強者が誰だったのかは、今となっては確認することはできませんが、
これが零戦の場合なら、おそらくほとんどが未帰還戦死となっていたことでしょう。
実際、バウアーのケースでは、バウアーのグラマンF4Fは奇襲攻撃を受けた
零戦に対して真正面から撃ち合い双方とも海上に被弾墜落したもので、零戦は炎上し搭乗員は戦死しました。

坂井さんの「大空のサムライ」の中にも書かれていましたが、坂井さんや西澤一飛曹のようなエース中のエースだけが、
格闘戦においてもグラマンF4Fの操縦席を狙って直接パイロットに射弾を送ることができたのでしょうか。
8月7日のルンガ上空での制空戦では、
河合中隊および西澤一飛曹と交戦したサラトガのグラマン戦闘機隊サザランド中隊8機の搭乗員のうち、
4人が撃墜され戦死しています(このほとんどが西澤一飛曹によるものと考えられています)。
米側にとって、1回の空戦で1個中隊のパイロットの戦死率50%
(被撃墜機の80%の戦死率;サザランド中隊はサザランド自身も含めて5機が撃墜された)は、
その後のカクタス航空隊の空戦においては、一度も経験したことのない高いものでした。
坂井さんを失った台南空のエース中のエース西澤と太田、
そして日華事変以来のエースで第二次ソロモン海戦の後
台南空に加わった54機撃墜の奥村上飛曹の3人が9月と10月の2ヶ月間カクタス航空隊のグラマンF4Fを相手に
あのルンガ上空の「死闘の空」でどのような空戦を展開したのか、
そして太田が撃墜された10月21日の戦闘はどのようなものであったのか、
これからの「ガダルカナル日米死闘の空-ゼロ戦対グラマンワイルドキャット」の連載の中で、
明らかにしていこうと思っています。

その前に、台南空飛行隊編成調書(防衛研究所所蔵)の8月26日のページをもう一度開けてみます。
このページには、指揮官笹井中尉と第二小隊長結城中尉、
同小隊三番機熊谷三飛曹の三名の欄に未帰還の赤文字が記入されています。
これまで、国内の資料からは、笹井中尉戦死のこの日の空戦の模様をうかがい知ることはできませんでしたが、
いくつかの米側資料をもとに、笹井中尉の最後の模様が浮かびあがってきました。
さて、私たちは時計の針を昭和17年8月26日、午前11時20分にセットし、
ガダルカナル島ルンガ岬の上空にもどることにしましょう。

8月26日、午前11時20分過ぎ、一式陸攻の編隊が多数の60kg爆弾をヘンダーソン飛行場に投下し始めた時、
インターナショナルニュースサービスの従軍記者、リチャード・トレガスキスと同僚のミラーは飛行場の端に立っていました。
トレガスキスは8月7日の上陸から9月26日までの米軍側から見たガダルカナルの戦いを日記に記し、
昭和18年に有名な「ガダルカナル日記:Guadalcanal Diary」(Modern Library Paperback Edition, 2000)として出版し、
一級の一次資料を残しました。
日米ががっぷり四つに組んで戦った初期のガダルカナル戦の戦闘の模様をこれほどリアルに描写した記録を私は知りません。
特に、笹井中尉の義兄で横浜航空隊の飛行長田代義夫少佐や司令の宮崎重敏大佐ら約450名が
絶望的な戦闘の末に全滅したガビュツ・タナンボコ両島の戦い(8月7−8日)、
一木清直大佐率いる旭川の精鋭コマンド部隊をテナル川の河口で迎え撃ったテナル川の戦い(8月20−21日)、
メリット・エドソン中佐指揮の第一海兵強襲大隊が川口清健少将率いる小倉の歩兵第124連隊と第4連隊(青葉支隊先遣隊)の
突撃を防いだ「血染めの丘;Bloody Ridge」の戦い(9月13−14日)の描写には鬼気せまるものがあります。

爆弾の弾着による轟音と火柱、爆煙が山側の滑走路の端から急速に近づいてきた時、
トレガスキスとミラーは掩体壕に飛び込みました。
地面を揺るがす衝撃と爆風に耐え、土砂を払いのけながら顔を出すと、
飛行場の端にあった航空燃料に引火しタンクが燃え上がるのが見えました。
さらにこの爆撃によって1000ポンド爆弾が誘爆し、3名の海兵隊員が戦死しました。
トレガスキスとミラーは海兵隊司令官であるアレキサンダー・バンデクリフト少将のジープに同乗し、被害箇所を見回りました。
その途中、一式陸攻隊が投下した遅延信管付きの爆弾が爆発しましたが、危機一髪で逃れることができました。
続いて、飛行場の真中にあるパゴダと名づけられた日本軍が建てたカクタス航空隊の指揮所で、
迎撃に飛び上がったスミスとカールのVMF-223グラマン戦闘機隊のパイロットが戻ってくるのを待ちました。
 
この日、ヘンダーソン飛行場に爆弾を命中させたのは、
笹井中尉の零戦隊9機に護衛された三沢空の飛行隊長中村友男大尉率いる三沢空と木更津空の一式陸攻隊17機
(16機あるいは18機という記録もあります)でした。
南の山側からヘンダーソン飛行場に進入した攻撃隊は、
少なくとも、爆撃終了時点まではVMF-223グラマン戦闘機隊の攻撃を受けていないことがわかります。
トレガスキスの日記では、バンデクリフト司令官と火災の発生場所にジープでやってきた時にはじめて、
上空で急降下音や機銃の発射音など激しい空戦が展開されていることを示す音が断続的に聞こえたと書かれています。
一方、この日の空戦に参加したVMF-212先遣隊のローレンD.エバートン大尉は、
最初に一式陸攻の編隊を攻撃したのは、編隊がルンガ沖を北上しはじめた時であったと述べています。
この時、エバートンと一緒に中村大尉の一式陸攻隊に襲いかかったのは、
スミス、この日撃墜されて戦死したコリー少尉、そしてハミルトン軍曹の4機と書かれています。
この時カール以下のおよそ10機のグラマンワイルドキャットは笹井中尉の零戦隊に向かいました。

ヘンダーソン飛行場の上空で左旋回して北上する零戦隊と陸攻隊は、
太陽を背にして東方上空から急降下したグラマン戦闘機隊に右前方および右側面から
奇襲攻撃を受ける形になり完全に不意を突かれたものと推測されます。
トレガスキスが最初に聞いた急降下音と機銃音は、
この時上空からなだれこんだグラマン戦闘機隊のものでした。
この最初の攻撃によって、笹井中尉以下9機の零戦隊が空戦の主導権をカールとスミスに奪われたことは、
「大空のサムライ」の中で、坂井さんが西澤一飛曹から聞いた言葉として記載している
この時の零戦隊のパイロットの証言から明らかです。
西澤一飛曹はこの日の空戦にも前日の25日の攻撃にも参加していませんので(台南空編成調書)、
このパイロットは、この時期豊橋にいた坂井さんと連絡を取り得た人物、
つまりこの日笹井中尉の二番機として出撃した大木芳男一飛曹ではなかったかと私は思います。
これはその全文です。「8月26日、ガダルカナルに殴り込みをかけた日でした。
グラマンが何機むかってきたかわからない。ものすごくなだれこんできたのです。
われわれはばらばらになった。敵味方、入り乱れて、ものすごい空戦になった。
味方機のことなど振り返るひまもなかった。笹井機が墜落したのは、誰も見なかったのです。
われわれは帰り道で笹井機が見えないので、たぶん負傷して先に帰ったんだろうと思っていました。
しかし、笹井機は、それっきり、待っても待っても帰ってこなかったんです。」(「大空のサムライ」坂井三郎、光人社)
先頭を切って降下したカール以下のグラマン戦闘機隊の攻撃をまともに受けたのは、
先行する笹井小隊の右後ろに位置していた結城、石川、熊谷の第二小隊でした。
この日、カールは零戦2機の撃墜を報告し、台南空は結城中尉と熊谷三飛曹を失っていますので、
結城、熊谷のいずれかがこの最初のカールの射弾を受けて撃墜されたものと思われます。
恐らく二人ともVMF-223の最初の一撃で一瞬のうちにルンガ上空に消えたのであろうことは想像に難くありません。
笹井中隊のベテラン揃いの第一、第三小隊の6機は、かろうじてグラマンワイルドキャットの第一撃をかわしましたが、
編隊はばらばらになり、単機空戦を余儀なくされるという笹井中隊がこれまで経験したことのない

最悪のシナリオとなりました。


VMF-212先遣隊のローレンD.エバートン大尉は、この日ヘンダーソン飛行場に到着したばかりで、初めての出撃でした。
エバートンは、ヘンダーソン飛行場に爆弾を投下した後、
ルンガ沖を北上してマライタ島の方向へと避退する一式陸攻の編隊を捕捉しました。
初陣のエバートンは、360m以上も離れた位置から尾翼にRの文字と2本線の
木更津空の1機を狙ってほとんど機銃の発射ボタンを引きっぱなしで接近しました。
射弾は陸攻の右エンジンに命中しはじめ、金属片が飛び、たちまち黒煙を引くのが見えました。
エバートンはグラマンを引き起こし、陸攻の直上で機体をひねって再び攻撃の体勢に入りました。
今度は、陸攻の後部銃座の25mm機銃の死角に入るように注意深く角度を選びながら、
270m以内に接近してから陸攻の翼根にある燃料タンクを狙って射弾を送りました。

この日ラバウルから出撃した木更津空と三沢空の一式陸攻は一一型で、その後部銃座は側方への射界が狭く、
斜め後ろに死角ができることを海兵隊のパイロットは教えられていたのでした。
陸攻の上部ブリスター銃座と側面銃座の7.7mm九二式機銃は、第一次世界大戦時のイギリス空軍の旋回機銃の改良型で、
この旧式の機銃によっては、頑丈な装甲をもち弾丸のように降下する
グラマンワイルドキャットに打撃を与えることはほとんど不可能でした。

エバートンのワイルドキャットの6門の機銃から打ち出された曳光弾が破片を散らせて命中すると、
一式陸攻の緑の胴体は黒煙と火炎に包まれはじめ、編隊から脱落し真っ直ぐに落ちていきました。
振り返ると、陸攻の機体はバラバラになりいくつもの炎の塊となって海上に落ちて行きました。
パラシュートは1個も開きませんでした。

エバートンはスロットルを全開にし、マライタ島の上空を避退する中村大尉率いる一式陸攻の編隊を追いかけました。
編隊の右側の1機に追いつき、側後方近距離から連射すると陸攻は大きく右に旋回し退避を試みました。
エバートンも大きく背中を曝した陸攻の方に機首を向けさらに射撃したところ、
今度は操縦席に命中しガラスが飛び散るのが見えました。この陸攻は長く弧を描いて海上に墜ちて行きました。
この時点で、ほとんどのグラマンワイルドキャットは燃料と弾丸を使い果たしてヘンダーソン基地に帰って行きましたが、
スミスとエバートンの2機は陸攻隊をはさむように左右に位置し、追跡を続けました。エバートンは3番目の陸攻を射撃しました。
この機も煙を引いて海上に墜落していきました。
さらに4番目の陸攻のエンジンに命中弾を与えましたが、撃墜にはいたりませんでした。

8月26日の日本側の記録では、中村大尉の陸攻隊は、木更津空の2機が自爆し、
1機が帰途海上に不時着、中村大尉の指揮官機も被弾しブカに不時着しました。
他に9機が被弾しながらもラバウルブナカナウ基地に帰還しました。
陸攻隊も後部銃座の集中射撃によって、R.A.コリー少尉のグラマンワイルドキャットを撃墜しました。
コリー少尉は戦死しました。
陸攻隊としては8月7日(4機自爆、1機不時着)、8日(17機自爆、1機着陸時大破)、
9日(2機自爆、1機不時着大破)と続いたガダルカナル戦の緒戦以来の被害で、
6日前にヘンダーソン飛行場に到着したカクタス航空隊との最初の空戦でした。
これは今後3ヶ月間にわたって繰り広げられ、
「陸攻隊の墓場」と呼ばれることになるガダルカナル航空戦「日米死闘の空」のほんのはじまりに過ぎませんでした。


トレガスキスとミラーの待つ「パゴダ」の中に、
空戦を終えたVMF-223と-212のグラマンワイルドキャット戦闘機隊のパイロットが次々に帰ってきました。
海兵隊戦闘機隊の将校ファイク大佐は、
先程のエバートンの報告を聞いてMitsubishi G4M1(一式陸攻)の撃墜機数3を黒板に記入しました。

エバートンとトレガスキスが聞いたスミス隊長の報告はぞっとするような内容でした。
スミス大尉はオクラホマ州レキシントンの出身で、
口数の少ない落ち着いた人でした。大尉は不安気のない褐色の大きな目をしていて、
その風貌にはどこか西部劇のカーボーイを思わせるものがありました。
エバートンとともに中村大尉の陸攻隊を挟むようにして追跡し、
黒煙を引く木更津空の一式陸攻の1機に最後の攻撃をかけ全弾を撃ちつくしたスミスのグラマンは、
この一式陸攻の後部銃座の死角に入り、編隊を組むようにしてすぐ近くを並んで飛びました。
スミスは、覗きこむようにして一式陸攻の内部の様子を観察し、
そこに戦慄の光景を目にしたのです。
上部ブリスター銃座の射手は死んでいるように見えました。そしてひどく黒煙を引き、
ゆっくりと高度を下げながら直進する陸攻の前部操縦席の窓からは操縦員の姿はおろか一人の人影も見えませんでした。
スミスはこの一式陸攻の搭乗員が後部銃座にいる背の低い射手以外はすべて戦死してしまったのだと気付きました。
彼はなおも観察を続けました。日本側からすれば、これほどの冷酷な状況はありませんでした。
後部銃座の射手は半狂乱のように風防をかきむしり脱出しようと試みていました。
しかし、この搭乗員は脱出することはできませんでした。
海上から900mの高度にまで降下した時、搭乗員のいた後部銃座の風防全体が吹き飛び海上に落下していきました。
一式陸攻の機体は長くゆっくりとした弧を描いて滑り込むようにして海中に没しました。

続いて、トレガスキスの「ガダルカナル日記」から引用します。
……..マリオン・カールがにこにこしながらパゴダに入って来て、
5番目と6番目の敵機、両方とも零戦を撃墜したと報告した。
カールの同僚は彼のことを“Zeroman”(零戦撃墜王)と呼んでいた。
カールにとってはこのあだ名はうれしいものであったようだ。
他のパイロットたちはカールに対して深い尊敬の念を抱いていた。
彼らは、我々に向かって、
「カールは凄い。彼はミッドウェーで海兵隊のパイロットと一緒に戦い、零戦を1機撃墜した」と教えてくれた。
そこで私はカールにガダルカナルの零戦は、ミッドウェーの零戦と比べて技量はどうかと尋ねてみた。
カールは、「よくわからないが、ミッドウェーではもっとたくさん叩き落された。
パイロットの腕がここの零戦より良かったのかも知れない。」と答えた………。

マリオン・カールは着陸する直前に襲いかかってきた1機の大胆不敵な零戦との一騎打ちの模様を話しました。
8月26日のこの零戦とグラマンF4Fワイルドキャットの「死闘」はルンガ岬の真上で闘われ、
何百人もの海兵隊員が目撃していました。

笹井醇一中尉は、大正7年(1918年)2月13日、
海軍造船大佐笹井賢二氏の長男として東京に生まれ、
現在の日比谷高校(当時の府立一中)を経て江田島の海軍兵学校に入学しました。
昭和14年に第67期生として海軍兵学校を卒業し、太平洋戦争開戦前夜の昭和16年11月台南航空隊に着任、
翌12月10日、フィリピンルソン島への攻撃に参加しましたが、
エンジンの故障で引き返し初陣を飾ることができませんでした。
笹井中尉は、昭和17年2月2日、ジャワ島のマオスパテでオランダ軍のF2Aバッファロー戦闘機1機を撃墜し、
初撃墜を記録しました。
同年4月、台南空のラバウル進出とともに、坂井、太田、西澤らの第二中隊の中隊長を命じられ前進基地ラエを中心に、
アメリカ陸軍第35、36戦闘飛行隊のベルP39エアラコブラ、カーチスP40Eウォーホークとの激しい航空戦を戦い抜き、
8月3日に台南空の主力部隊とともにラバウルに帰りました。

翌4日にラバウル東(ラクナイ)飛行場指揮所前で撮影された台南航空隊搭乗員52名と小園安名副長、
斉藤正久司令の集合写真は最も有名なもので、鴛淵孝大尉を除けば、その後ガダルカナル航空戦を戦い、
ニューギニア方面での空戦と合わせて27名の戦死者を出して壊滅した
名門台南航空隊の搭乗員のほとんどを見ることができます。

この写真では、小園副長の右隣に河合四郎大尉と並んで胸をはる笹井中尉が見えます。
小園副長の左は斉藤司令、その左に飛行隊長の中島 正中佐と分隊長の稲野菊一大尉、
そして3週間後の27日、ニューギニアのラビでアメリカ陸軍第36戦闘飛行隊の
ベルP39エアラコブラの奇襲攻撃を受け壮烈な戦死を遂げる山下丈二大尉が見えます。
笹井中尉の右には、笹井中尉が戦死した同じ日のガ島上空の空戦でマリオンカール率いる
カクタス航空隊のグラマンF4Fワイルドキャットに撃墜され戦死した結城國輔中尉が並んでいます。
後列笹井中尉のすぐ後ろに眼を転じると、坂井さんと西澤一飛曹が立ち、坂井さんの右隣には、
たった3日後に何の前触れもなく始まったガダルカナル航空戦の初日(8月7日)に、
サンタイザベル島上空での空母エンタープライズのグラマンF4Fワイルドキャットとの壮絶な空中戦に散ることになる
ベテラン吉田素綱一飛曹(日華事変以来12機を撃墜したエース)が写っています。

吉田一飛曹と相前後してファイアーボーフ大尉によってサンタイサベル島沖の海上に撃墜され戦死した
西浦国松二飛曹(開戦時のフィリピンクラークフィールド空襲に参加したベテラン)、
翌8日、ガダルカナル、ツラギ沖の輸送船団雷撃隊を援護して出撃し、
空母ワスプのVS-71SBDドーントレス爆撃機隊のロバート・ハワード少尉によって撃墜された
木村 裕三飛曹および同じ8日にエンタープライズのVF6グラマンF4F戦闘機隊の最高エース、ランヨン兵曹長によって
ルンガ沖に撃墜された笹井中尉と海兵同期(67期)の林谷 忠中尉はこの写真が最期のものとなりました。

坂井さんが重傷を負った8月7日のガダルカナル島上空でのグラマンF4Fワイルドキャット戦闘機隊との空中戦は、
戦闘機乗りとしての笹井中尉の経歴の中でもっとも輝かしいものの一つでした。
笹井中尉は、この日、二番機に太田敏男一飛曹、三番機に遠藤桝秋三飛曹をしたがえ、
陸攻隊の直援として坂井さんの小隊を率いて出撃し、グラマン3機とSBDドーントレス1機の撃墜を報告しました
台南空飛行隊編成調書)。

8月7日、午後1時30分過ぎ、坂井さんが柿本と羽藤を探して高度500メートル付近にいる
サザーランドのグラマンF4Fをめがけて急降下していった時、
笹井中尉と太田一飛曹、遠藤三飛曹は高度2300メートル付近を
ツラギからガダルカナル本島に向かって飛行するSBDドーントレス急降下爆撃機を捕捉しました。

この時の模様を坂井さんは「大空のサムライ」の中で以下のように述べています。
「…….「柿本、羽藤!」私は心の中で彼らの名を呼びながら、
ともかくも青い二本線を胴体にまいた笹井中隊長機に近づいていった。
そのとき笹井中尉は、ガダルカナル本島の直上付近に敵を見つけたらしく、
左変針をしながら上昇姿勢に移って、連続バンクを振っていた。
体勢を整え終わった味方編隊は、これに応じて急激に速力を増しはじめた……。」

SBDドーントレスは、ジョン・エルドリッチ少佐が率いる空母ワスプのVS-71爆撃隊の6機で、
ツラギ上陸部隊からの支援要請で、
フロリダ島にある2つの日本軍陣地を爆撃中に四空と台南空の攻撃隊来襲の報を受け、
急いでガダルカナル本島の上空にもどる途中でした。
笹井中尉以下の三機は、エルドリッチ少佐、ダドリー・アダムス大尉、ヤコブ・パレツキー少尉、
ウイリアム・ケファート中尉の先頭小隊のドーントレスに対して、
上空から旋回しながら急降下するハイサイド攻撃をかけました。
この攻撃で、他の3機と引き離されたケファート中尉のドーントレスは、左に急旋回し急降下しました。
笹井中尉と2機の零戦はすばやくケファート中尉を追尾し、
3機が順番に連射をしながら攻撃してきました。ケファート中尉機はからくも下方の雲の中に逃げ込み、
笹井中尉の攻撃が比較的遠距離からの射撃であったため致命的な被弾を免れ、
ワスプに帰還することができました。
笹井小隊の三機はそれぞれがケファート中尉機に一撃をかけたあとすばやく上昇し、
フロリダ島の上空を北上する一式陸攻隊に向かいました。

この後、エルドリッチ少佐の編隊は、河合大尉の第二中隊の徳重宣男二飛曹と
もう1機の零戦(三番機の西浦国松二飛曹と思われる)に後方から攻撃され、
ダドリー・アダムス大尉機が追尾攻撃をうけましたが、
後部銃手のハリー・エリオット偵察員がよく応戦し撃墜を免れました。
小隊の他のドーントレスはこの間に避退することができました。

2機の零戦の追尾を振り切り、雲の間を抜けて、エルドリッチ少佐の編隊を探していたアダムス大尉機は、
サザーランドのグラマンF4Fを撃墜した後、
北上する一式陸攻隊と台南空の本隊に合流すべくツラギの上空に向けて上昇していた
坂井、羽藤、柿本、山崎の4機の零戦の前下方を横切る形になりました。
雲に隠れながら4機の前方を通り抜けたアダムス大尉機のエリオット偵察員は、
高度2100m付近の層雲の間を縫って上昇する4機の零戦の先頭の1機に対して左側面から7.7mm二連装機銃を連射しました。
この1弾が坂井さんの零戦の風防の後部に命中し、
アダムス大尉のドーントレスは坂井さんのハイサイド攻撃を受けることになります。

ここで、再び「大空のサムライ」の坂井さんの記録から引用します。
「…高度二千メートル、まばらに浮かんでいた断雲の間を抜けて、
輝くばかりの紺碧の上空に出た瞬間、私の風防ガラスに、バーンと大きな音がした。
はっと思うと、左側に五センチぐらいの大きな穴があいた。同時にゴーッという激しい音がした。
…はっと思って左側にほんの二、三秒目をうつすと、
断層に見えかくれしながら複座機のSBDドーントレスがチラッと一機みえた。
…畜生、ゆるすもんか!私はまっしぐらに敵に向かって突っかけた。
…たがいに急降下しながら断雲をつきぬけると、視界がパッとひろくなった。
その瞬間、私はぶつかるほどに接近して、後上方から、二十ミリと七・七ミリの一連射を浴びせかけた。
するとSBDはたちまちクルックルッと左に回りながら落ちはじめた。
煙も吹かず火も吐かず、錐揉みになって落ちていった。...」

この射撃は後部銃座のハリー・エリオットを射殺し、アダムス大尉にも重傷を負わせました。
SBDドーントレスはかろうじて海上に着水し、アダムス大尉は救助されました。
時に1時45分でした。
坂井さんはこの後、カール・ホレンバーガー大尉が率いる空母エンタープライズのSBDドーントレス爆撃機8機を
後上方から攻撃し、後部の7.7mm二連装機銃16門の集中射撃を受け重傷を負います。

坂井さんを失った笹井中隊の5機は、午後2時過ぎに、空母エンタープライズを発進した
ファイアーボーフ大尉率いるVF-6グラマン戦闘機隊の10機のうちのRED5中隊の1機、
ウイリアム・ウォーデン兵曹長のグラマンF4Fと空戦に入りました。


これより先、午後1時45分過ぎ、ガダルカナル本島の山を越えて高度4900mで
ツラギに向かったエンタープライズのビンセント・ド・ポィック大尉の指揮するRED3中隊の4機のグラマンF4Fは、
フロリダ島の上空を高度3600mで北西に向けて全速で避退する江川大尉の一式陸攻の編隊を捕捉しました。
ド・ポィック大尉はサラトガのサザーランド中隊の攻撃を受けて一方のエンジンが停止した
第三中隊の第三小隊三番機坂本一飛曹の一式陸攻を後方から攻撃し、
陸攻が火達磨になるまで12.7mm機銃の発射把柄を握りっぱなしで接近しました。
一式陸攻の緑の機体は、ド・ポィック大尉の眼の前で左に傾き数十メートルの火炎の帯を曳きながら真っ直ぐに墜ちていきました。
一式陸攻の炎が付近の海面をオレンジ色に照らしたとみるや、
機体は海面に激突し白い波頭と一層大きなオレンジ色の炎を吹き上げ爆発しました。

この時、陸攻隊の付近にいた台南空の零戦は、
たった2機で第一中隊第二小隊の山下貞雄一飛曹ともう1機の零戦(三番機の松木 進二飛曹と思われます)でした。
山下一飛曹ともう1機は、一式陸攻隊に最初の攻撃をかけたあと、
真っ直ぐ下方に避退し引き起こしたジュリウス・アクテン兵曹長のグラマンF4Fを後方から奇襲しました。
山下一飛曹の零戦は勢い余って、アクテン兵曹長のグラマンを通り越して前方で反転したため、
アクテン兵曹長は反射的に12.7mm機銃を撃ち込み数発を命中させました。
零戦は一瞬よろけたようになって錐揉みに入り海上に墜ちていきました
(山下一飛曹機は被弾しましたが撃墜を免れ、ラバウルに帰還することができました(台南空飛行隊編成調書)。

アクテン兵曹長がこの零戦の撃墜を確認する間もなく、
振り返ると2番目の零戦が後方から機銃を発射しながら接近してきました。
機銃弾の命中による激しい振動とともにグラマンワイルドキャットの翼根にある燃料タンクが破壊されるのが見えました。
アクテン兵曹長は雲の中に逃げ込みかろうじて零戦の第二撃をかわしました。しかし、数分のうちにエンジンが停止し、
アクテン兵曹長はフロリダ島を横切って降下しツラギ湾にグラマンを不時着水させました。
アクテン兵曹長は救助されました。時に午後1時50分でした。

午後2時頃、空母エンタープライズのグラマンF4F戦闘機隊の第2陣、
ゴードン・ファイアーボーフ大尉が率いる6機のRED5中隊が、
フロリダ島を越えてサンタイザベル島の東岸の上空を避退する江川大尉の陸攻隊に接近しつつあった時、
ようやく陸攻隊に追いついた台南空の零戦隊は、中島少佐を中心に集結しました。
この時、中島少佐は2番機の西澤一飛曹の機体に潤滑油が漏れているのを見ました。
山下一飛曹の被弾は致命的なものではないように見えました。
中島少佐、西澤一飛曹、笹井中尉、太田一飛曹ははじめて坂井さんがいないことに気付きました。

坂井さんを除く台南空の16機は、急速に編隊を整え、中島少佐と西澤、吉村一飛の3機が後方に、
河合大尉の第二中隊の5機は直上方に、そして笹井中隊の5機と高塚寅一飛曹長の小隊3機が前方に進み、
それぞれ陸攻隊を援護する配置についてファイアーボーフ大尉のグラマンF4F、RED5中隊の攻撃に備えました。

先頭小隊のファイアーボーフ大尉は、列機のウォーデン兵曹長とトーマス・ローズ無線飛行兵に増槽を落として
一式陸攻隊を攻撃するように命じ、自らは、ウイリアム・ステフェンソン飛行兵とともに三機編隊の零戦に機首を向けました。
三機の零戦はたちまち右に旋回し、驚くほどの速さで編隊のまま上昇すると、
ファイアーボーフのグラマンF4Fに真正面から向かってきました。
ファイアーボーフは零戦の小隊長機に軸線を合わせ、450mの距離から12.7mm機銃を発射しました。
零戦のカウリングから細かな破片が飛び散ったように見えました。
ファイアーボーフ大尉が、衝突を避けるため機首を下げると、零戦は猛烈な速度で頭上を通り抜けました。
左を見ると、ステフェンソン飛行兵のグラマンF4Fが1機の零戦に追われて、緩降下していくのが見えました。
零戦は両翼から機銃の発射煙を引きながら、ステフェンソン機を追尾しその距離をさらに縮めたように見えました。
ファイアーボーフ大尉がこの零戦を攻撃しようと旋回したところ、
もう1機の零戦が突然、見事な見越し射撃で7.7mm機銃弾をファイアーボーフ機の操縦席に命中させました。
零戦の機銃弾は右ひざのすぐ前にある計器板を破壊しました。
ファイアーボーフ大尉は、機銃弾の衝撃と砕け散ったガラス片を浴びて気を失いかけましたが、
それでも気力を振り絞って機体を急激に右に旋回させ機首を攻撃してきた零戦の方に向けましたが、一瞬振るえ上がりました。
なんと8機の零戦が一線となって轟音とともにファイアーボーフ機の真下を通り抜けて行きました。
左下に眼を移すとちょうどステフェンソンのグラマンF4Fが45度の角度で飛沫を上げて海に突っ込むのが見えました。

ステフェンソンはエンタープライズのVF-6戦闘機隊でこの日唯一の戦死者でした。
ステフェンソンのグラマンを仕留めたのは、陸攻隊の後方を守っていた中島少佐の小隊3機のうちの1機、
西澤一飛曹でした。

ファイアーボーフとステフェンソンが直援の零戦隊と空戦していた時、
RED5中隊の他の4機のグラマンは、密集した隊形で戦場を離脱しようとする一式陸攻隊の上空を右から左に横切りました。
ロバート・ディスク少尉とローズ無線飛行兵は、左上方から切り返し、
編隊の左に位置していた藤田中尉の第二中隊の陸攻隊を攻撃しました。
1機の陸攻がこの攻撃によって編隊から脱落しはじめました。
ディスク少尉の第二撃によってもう1機の陸攻も編隊から遅れはじめました。
ディスク少尉は編隊から脱落した1機の陸攻をさらに追尾して12.7mm機銃の第三撃を命中させ、ついにこの陸攻を発火させました。
ディスク少尉の記録によれば、この陸攻は機銃弾が命中するや長いオレンジ色の炎を吹き出し、
やがて炎の先は真っ黒な黒煙となりディスク少尉のグラマンの風防に吹き付けました。
その黒煙を手繰ってさらに追跡し、巨大な緑の主翼を照準線の真ん中にとらえて留めの機銃弾を短く連射すると、
今度は右翼のエンジンが一層明るい火炎に包まれ爆発しました。陸攻の機体はゆっくりと回転しながら海上に墜ちていきました。
この時のグラマン戦闘機隊の攻撃によって、四空の陸攻隊第二中隊は、
第二小隊の本田一飛曹機と第三小隊の足立一飛曹機の2機を失いました。
14名の搭乗員は1人も脱出できませんでした。
その直後に、1機の零戦がディスク少尉のグラマンの後方から攻撃してきました。
列機のポール・マンキン飛行兵は、短く射弾を送ってこの零戦を追い払い、
少しの間追跡しましたが、零戦は急降下して見えなくなりました。
後に、「グラマンを追尾したが、もう1機のグラマンの攻撃を受けてあきらめざるを得なかった」という中島少佐の手記から、
この零戦が中島少佐の指揮官機であったことがわかります。
ファイアーボーフ大尉のグラマンに見事な命中弾を与えたのは、
グラマンの攻撃を察知し前方の警戒線から全速力で後方に向かった笹井中隊の5機と高塚小隊の3機を率いる先頭の笹井中隊長機でした。
このあと、笹井中隊の5機はワーデン兵曹長のグラマンを、高塚小隊の3機は、ローズ無線飛行兵のグラマンをそれぞれ捕捉し、
笹井中尉はたちまちワーデン兵曹長のグラマンのエンジンを破壊しました。
ワーデン兵曹長はラッセル島の北岸の海上に不時着水し、後に救助されています。

高塚寅一飛曹長の小隊3機は、ローズ無線飛行兵のグラマンF4Fを後方から攻撃しましたが、
先頭の零戦は、どうしたことか勢いあまってグラマンの機銃の前に躍り出てしまいました。
ローズ飛行兵はこの零戦を追尾し確実に機銃弾を命中させました。
零戦は一瞬にして火炎に包まれ、振り返ると、左に横転しながらグラマンの左翼はるか後下方に消えていきました。
ローズ飛行兵はこの零戦(高塚飛曹長機)を確実に撃墜したと思いましたが、
高塚飛曹長は奇跡的に消火に成功し、ブカ島まで帰還することができました(台南空飛行隊編成調書)。
小隊長機を失った高塚小隊の列機の零戦のうちの1機(松木 進二飛曹か)は、
ローズ飛行兵のグラマンを空戦空域の外に出るまで追尾し、操縦席後部の胴体に機銃弾を命中させました。
ローズ飛行兵は無線で助けを求めましたが、周りにはグラマンは見えませんでした。
この時、笹井中尉に追われたウォーデン兵曹長は、下方に零戦に追われるローズ飛行兵のグラマンを発見し、
遠距離から零戦の前方を狙って機銃弾を流し撃ちしました。
この零戦は、曳光弾の流れをみるやいなやグラマンの追尾をあきらめ飛び去っていきました。
ローズ飛行兵はこの数分後に1機のグラマンがラッセル島の沖合いに不時着水するのを見ました。
このグラマンは、時間経過からして、笹井中隊の攻撃でエンジントラブルを起こしたウォーデン兵曹長機に間違いないと思われます。

台南空零戦隊の精鋭17機と空母サラトガ(VF-5 第5戦闘飛行隊;8機)、
エンタープライズ(VF-6;10機)のグラマンF4F戦闘機隊18機および
サラトガ、エンタープライズ、ワスプのSBDドーントレス急降下爆撃隊16機(VB-6、 VS-5、VS-71、 72)との8月7日の空戦は、
その後に続く3ヶ月間の航空戦のほんの第1ラウンドにすぎませんでした。
台南空は、吉田素綱一飛曹と西浦国松二飛曹の戦死、坂井さんの負傷と引き換えに
VF-5の5機(ジェームズ・サザランド大尉、ロバート・プライス少尉、チャールズ・タベラー中尉、ウィリアム・ホルト中尉、ジョセフ・ダリー少尉)と
VF-6の4機(ゴードン・ファイアーボーフ大尉、ウィリアム・ステフェンソン飛行兵、ウィリアム・ウォーデン無線飛行兵、
ジュリウス・アクテン兵曹長)を撃墜しました。
他に山下一飛曹機が被弾損傷を受け、高塚飛曹長機は大破しブカ島に遺棄されました。
米軍側は、プライス少尉、タベラー中尉、ホルト中尉、ステフェンソン飛行兵の4名が戦死し、
残りの5名が負傷しながらも脱出帰還しました。さらに5機が零戦の機銃弾によって損傷を受けました。
他に燃料切れその他の理由によって6機のグラマンF4Fが失われました。
SBDドーントレス爆撃隊は坂井さんによってVS-71の1機が撃墜されたのみで、
ハリー・エリオット偵察員が戦死し、ダドリー・アダムス大尉が負傷しました。
江川大尉の四空陸攻隊は、4機が空中戦によって撃墜され28名の搭乗員が戦死しました。
他に対空砲火によって1機が損傷したためブカ島の北岸に不時着水し、1機がラバウルでの着陸時に大破して失われました。
3空母合わせて99機のグラマンF4F戦闘機のうち15機を失い、5機が損傷するというこの日の戦闘は、
フレッチャー提督に空母部隊を8日の内にガダルカナル海域から撤退させるという決断をさせることになりました。






マリオンE. カール、ガダルカナル空戦開始からわずか2ヶ月で17.5機を撃墜
前線視察に来たニミッツ提督から海軍十字章を授与され少佐に昇進
戦後はジェット機操縦に転じて速度、高高度記録作り少将で退役
(ゼロ戦20番勝負(99年8月)PHP文庫 著者 秦郁彦)(管理者)



制作全面協力、
全体文、連載「ガダルカナル日米死闘の空 -ゼロ戦対グラマンワイルドキャット-」、著者 高橋 

(一部変更管理者 ゼロ戦を零戦に変更と追加文のみ)
 お断り 著者 高橋さんの許可なくコピー、HP使用は禁止です

参考文献・References
1) 台南空編成調書(防衛研究所 図書館所蔵)
2) 「ガダルカナルの戦い」(エドウインP. ホイト、井原裕司訳、元就出版社)
3) “A tribute to the Cactus Air Force” by David Hanson.
4) “Amercan Aces at WWII” by Ace pilot com.
5) “Tainan Ku-First Zero Mission to Guadalcanal-7th August 1942” by
     Michael Claringbould, Aerothentic Publications.
6)"The Pacific Ghosts (CD-ROM)" by Justin Taylan
   URL: http://www.pacificghosts.com/
7)   ”An interview with Major John L. Smith, Guadalcanal Ace” by
     Articles of Microsoft Combat Flight Simulator 2, WWII Pacific Theater
8)「太平洋戦争の三菱一式陸上攻撃機;部隊と戦歴」
(多賀谷修牟著、小林 昇訳、オスプレイ軍用機シリーズ 大日本絵画)



南東方面海軍航空作戦経過概要
(昭和16年12月8日〜17年9月30日)
参項資料 
ラバウル航空隊 奥宮正武 朝日ソノラマ 
57年2月27日発行
fc 戦闘機 fd 飛行艇
fb 艦上爆撃機 fsr 水上偵察機
fo 艦上攻撃機 fr 艦上及び陸上偵察機
flo 陸上攻撃機 ft 輸送機
年、日 記事 参項
16年12月8日 真珠湾攻撃、フィリピン方面攻撃
マレー方面上陸
       9日 グアム上陸
      10日 フィリピン上陸開始
マレー沖海戦
      23日 ウェーク島上陸
17年 1月3日 第二十四航空戦隊の千歳航空隊の陸攻隊、
横浜航空隊の飛行艇隊の
各約半数、ラバウル攻撃の為、
内南洋のトラック基地集結
シンガポール空襲開始
       4日 トラック基地からラバウルの航空攻撃開始
      11日 セレベス島のメナドに
海軍落下傘部隊降下
      16日 夜間トラック基地に敵の大型機来襲
      17日 敵大型機グリーニッチ島
(トラックとラバウルの中間の島)に来襲
      18日 敵大型機グリーニッチ島
(トラックとラバウルの中間の島)に来襲
   20,21日 第一機動部隊の艦載機ラバウル、
カビエン、ラエ、サラモア、マダンを空襲
      22日 わが攻略部隊ラバウル、カビエンに上陸、
空母艦載機これを支援
      24日 水上機母艦聖川丸の飛行機隊ラバウルに進出
      25日 横浜航空隊の飛行艇隊は
ラバウルを経てグリーン島に進出
千歳航空隊の九六式戦闘機隊トラック島で
空母に収容されラバウルへ向かう
      26日 飛行艇3機ソロモン群島、ニューギニア東部方面偵察
      27日 千歳航空隊の九六式戦闘機隊カビエン着
飛行艇5機ポートモレスビーを攻撃
      31日 千歳航空隊の九六式戦闘機隊ラバウル着
敵機数回ラバウルに来襲
 17年2月1日 米空母部隊マーシャル群島の
各基地に来襲
       2日  飛行艇5機、夜間にポートモレスビーを攻撃 3日より基地航空部隊
ジャワ島方面攻撃開始
       4日 横浜空の飛行艇隊グリーン島からラバウルに移動 ジャワ沖海戦
       5日 飛行艇5機、ポートモレスビーを攻撃
       7日 千歳空の陸攻3機ラバウルに進出
       8日 シンガポールへの上陸成功
       9日 南洋方面部隊ニューブリテン島スミル飛行場と
ガスマタを占領、
直ちに九六式戦闘機隊の一部が進出
      10日 ラバウル派遣の第四航空隊編成される
(司令森玉賀四大佐)
      14日 第二十四航空戦隊司令官後藤英次中将、
ラバウルに進出
      17日 空母祥鳳でラバウルに6機の零戦到着
      19日 バリ島沖海戦、空母部隊、
基地航空部隊、
ポートダーウインの攻撃開始
      20日 ラバウル東方約四〇〇里に米空母部隊を発見、
ラバウルの陸攻隊これを攻撃被害大
チモール島に上陸
海軍落下傘部隊クーパンに降下
      21日 20日の米空母部隊を捜索したが発見できず
      23日 B−173機はじめてラバウルに来襲
      24日 fcX8、fIoX9、ポートモレスビーを攻撃 ウェーク島に米空母部隊来襲
      26日 fIoX11、ニューギニアのマダンを攻撃 スラバヤ沖海戦
      28日 ラバウルのfcX6、fIoX17、
ポートモレスビー飛行場を爆撃すると共に
湾内の飛行艇を銃撃
 17年3月1日 ジャワ島に上陸開始、
バタビア沖海戦
       2日 フィリピンのミンダナオ島
サンボアンガに上陸
       8日 ニューギニア東部北岸のラエ、サラモアに上陸成功 陸軍部隊ラングーンを占領
       9日 ジャワ島占領
      10日 ラバウル戦闘機隊の一部ラエに進出、
敵空母機約六十機、
B−17X8機などがラエ、サラモアに来襲、
輸送船四隻が沈没、
軽巡洋艦夕張、駆逐艦三隻を含む13隻被弾
      14日 零戦隊と陸攻隊は
オーストラリアとニューギニア島の間にあるホーン島の
連合国軍航空基地攻撃
      17日 ラバウルの飛行艇三機ソロモン群島のツラギを爆撃
      19日 fIoX8、ポートモレスビーを空襲
      23日 fcX3、fIoX19、ポートモレスビーを空襲
      24日 fcX3、fIoX18、ポートモレスビーを空襲
      30日 海軍部隊ソロモン群島のショートランド島、
ブカ島に上陸成功
 17年4月1日 本日付第二十五航空戦隊(司令山田定義少将)新編され、
横浜航空隊、
第四航空隊、台南航空隊は同戦隊に編入さる、
第四航空隊は陸攻のみ、
戦闘機隊は台南航空隊に編入された、
本日この方面の所在の
戦闘機ラバウルに96戦十一機、
ラエに零戦十機
       2日 ニューギニア攻略部隊バホを占領
       4日 敵機五機ラエに来襲、零戦二機炎上
       5日 わが空母部隊セイロン島
コロンボ方面攻撃
       7日 ラエにB−25八機来襲
       9日 ラバウル西飛行場にB−26四機来襲、
陸攻一機炎上、三機被弾、
魚雷数本爆発
わが空母部隊セイロン島
ツリンコマリ方面攻撃
      10日 fcX6、fIoX17、ポートモレスビーを空襲
      13日 台南空戦闘機操縦者はブカ沖の空母春日丸で
零戦二十機を受領、ラバウルに空輸
      16日 台南空司令斎藤正久大佐、ラバウルに進出
      17日 fcX13、fIoX7、ラバウルからポートモレスビーを空襲
      18日 米空母から発進したB−25
わが本土初空襲
      25日 台南空保有機、ラバウルに零戦八機、96艦戦六機
ラエに零戦二十四機となる
      26日 fcX7とfcX4、fIoX9、
二群分かれてポートモレスビーを空襲
      27日 ラバウル東方約二〇〇里に敵空母部隊発見した為
ポートモレスビーの空襲は取りやめ
      28日 fcX11、fIoX8、ポートモレスビーを空襲
      29日 fcX8とfcX5、fIoX9、
二群分かれてポートモレスビーを空襲
      30日 fcX6、fIoX8、ホーン島を空襲
fcX6、ソロモン群島のツラギを空襲
ラエにB−26、P−39、P−40計二十機来襲
 17年5月3日 海軍陸戦隊、
ソロモン群島のツラギ、ガブツに上陸成功
       4日 ツラギに米空母機来襲
       5日  米空母機、ツラギ、ガブツに反復来襲 マニラ湾コレヒドールに上陸成功
       6日 ツラギ進出中の横浜空の飛行艇、
本日早朝ツラギの南方に米空母部隊を発見
       7日 珊瑚海海戦
ポートモレスビー攻略のため進撃中のわが空母祥鳳、
敵空母機の攻撃を受け沈没

第五航空戦隊(翔鶴、瑞鶴)の空母機、
米油槽船と駆逐艦各一隻を轟沈
別にラバウル陸攻、
零戦は戦艦二、巡洋艦二、駆逐艦数隻攻撃
       8日 珊瑚海海戦
わが空母機、米空母二隻を撃沈破、
空母翔鶴被弾のため火災発生
       9日 ポートモレスビー攻略部隊は作戦中止、
本日にラバウルに引き返す
      11日 台南空戦闘機隊、ポートモレスビー、ホーン島を空襲
      14日 二回にわたりポートモレスビーを空襲
第一次fcX15(ラエ)第二次fcX9(ラエ)、
fIoX27(ラバウル)
      17日 ラエのfcX18ポートモレスビーを空襲
敵約40機を確認
      20日 ラエのfcX15ポートモレスビーを空襲
      27日 ラエのfcX25ポートモレスビーを空襲
      28日 ラエのfcX25ポートモレスビーを空襲
      29日 ツラギに敵機来襲
 17年6月1日 基地航空隊ポートモレスビーを空襲
       4日 第二機動部隊 アリュウシャン列島
ダッチハーバー攻撃(空母龍驤、隼鷹)
       5日 ミッドウェー海戦
第一機動部隊(赤城、加賀、飛龍、蒼龍)
ミッドウェー攻撃後、
米空母部隊の攻撃をうけ空母四隻失う
       6日 ミッドウェー西方海面で巡洋艦三隈沈没
最上大破
       7日 ミッドウェー作戦中止
潜水艦伊ー168号
米空母ヨークタウンを轟沈
アリューシャン部隊キスカ島上陸
       8日 アリューシャン部隊アッツ島上陸
       9日 ラエにB-25六機、B-26十一機、B-24二機来襲
      16日 ラエのfcX21はポートモレスビーを空襲
P-39約30機と交戦、被害なし
      17日 ラエのfcX25、fIoX18ポートモレスビーを空襲
      18日 フィジー作戦、ポートモレスビー作戦延期
fcX12、fIoX18ポートモレスビーを空襲
fIoX15空戦により被弾
      19日 ラエにB-26四機来襲
      24日 fcX12(ラエ)、fIoX18(ラバウル)
ポートモレスビーを空襲
零戦一機を失う
      25日 ラエのfcX25はポートモレスビーを空襲
敵戦闘機24機とB-17六機空戦
      29日 ポートモレスビー作戦に参加予定の
海軍陸戦隊サラモアに上陸
17年7月10日 基地航空部隊ポートモレスビーを空襲、
対空砲火強大となる
      11日 ラバウルのfcX12、fIoX19ポートモレスビーを空襲 ニューカレドニア、フィジー、
サモアの攻略中止と決定
      14日 連合艦隊編成替え
空母を主とする第三艦隊
南東方面を担当する第八艦隊新編さる
      21日 海軍陸戦隊ニューギニアのブナに上陸
fcX9、ラエ上空でB-175機要撃、零戦一機失う
      22日 敵機約百機ブナに来襲、ラエにP-38が来襲
      27日 ソロモン群島ガダルカナル島で飛行場建設中の
わが部隊の
偵察の為敵機来襲頻繁となる
      7月末 7月に入ってラエ基地に対する
敵機の空襲は激しくなり所在の
戦闘機隊ラバウルに引き上げ止むなきに至った
 17年8月1日 南東方面での敵機の動き活発となる
       3日 ニューギニア南東端のラビに敵飛行場発見
       4日 B-17延べ9機ツラギに来襲、
ツラギの飛行艇各一機フィジー及び
ニューカレドニア諸島を偵察
       5日 無線諜報によれば、
南東方面の敵軍の動き活発となる
この方面の海軍部隊に対し
警戒を厳にするよう下令された
ガナルカナル島の飛行場概成
       6日  カビエンの飛行場は陸攻の使用が可能となる
第二航空隊の零戦十五機、
艦爆十六機ラバウルに進出
       7日 敵空母機ツラギに来襲
早朝、敵部隊ツラギ、ガナルカナル両島に上陸を開始
ラバウルの海軍航空部隊は全力をあげてこの敵を
攻撃
第十一航空艦隊司令長官塚原二四三中将、
内南洋のテニアンからラバウルに進出
連合艦隊司令長官山本五十六大将は、
内地にいた第二、第三艦隊にこの方面に
進出するよう命令
       8日 第一次ソロモン海戦
ラバウル方面航空部隊は主力で敵空母の索敵攻撃、一部で
ツラギ方面の敵艦船を攻撃
       9日 引き続き、わが海軍部隊敵艦船攻撃
      10日 巡洋艦加古、カビエン東方海上で敵潜水艦に撃沈される
      11日 ツラギ基地、ガナルカナル島飛行場とも米軍に占領され、
敵の地上砲火はげしくなる
      13日 連合艦隊の大部分、内南洋のトラックに
集結
      17日 fcx22、fI0x25、ポートモレスビーを攻撃
      18日 ポートモレスビー攻略部隊は予定計画通り行動、
陸軍南海支隊の主力はニューギニアのバサブアに上陸開始
      20日 わが索敵機はソロモン群島東方方面の二ヶ所に
米空母部隊を発見、基地航空部隊は
この攻撃のため発進
したが、発見できず引き返す
敵機約三十機、ガナルカナル島飛行場に進出、
作戦開始
第二六航空戦隊司令官山縣正郷中将、
fIox19、ftx2、を
率い、サイパンから、ラバウルに進出
この夜、ラバウルは敵機の爆撃を受け、三沢空の
陸攻二機炎上、二機大破、
木更津空の輸送機一機大破
ガナルカナル島の陸軍一木支隊の攻撃
失敗
      22日 ラバウル所在航空部隊はツラギの攻撃を企図したが、
天候不良で中止台南空と二空の戦闘機隊の
一部ブナに進出
      23日 木更津空の陸攻二機ラバウルから索敵
fcx12(台南空)、fIox9(木更津空)、fIox15(三沢空)
ツラギの攻撃および食糧投下のため進撃したが、
密雲のため爆撃できず、食糧は雲下より投下
ラバウルが爆撃され、陸攻一機(三沢空)炎上、
陸攻三機(三沢空)大破、
輸送機一機(木更津空)大破
      24日 第二次ソロモン海戦
ソロモン群島の東方海面に米空母部隊を発見、
わが空母部隊これを攻撃
ガナルカナル島攻撃中の空母龍驤は敵空母機の
攻撃を受けて沈没
ラバウルの航空部隊は米空母の攻撃を企図したが、
天候不良のため、全機を呼び戻した
夜間、ラバウルは四回にわたり敵機に爆撃され、
木更津の陸攻一機炎上、他の八機が被弾
ブナの零戦隊ニューギニア南東端のラビを攻撃、
P-39と交戦
      25日 基地航空部隊はガナルカナル島と偵察
ニューギニア南東端のラビ攻略部隊ラビ飛行場東方に
上陸成功
      26日 ソロモン群島周辺海域の索敵五機、
fIox17(木空9、沢空8)
fcx9(台南空)ガナルカナル島を攻撃
(詳しくは上記 
「ガダルカナル日米死闘の空 -
ゼロ戦対グラマンワイルドキャット-」
見てください)
ブカ上陸の陸戦隊、敵の反撃激しく前進不能、
ブナ所在の
飛行機部隊全力をあげてこの敵を攻撃
      27日 ソロモン群島周辺海域の索敵五機
陸攻隊、(木空6、沢空6)はガナルカナル島の夜間攻撃を
企図したが天候不良で引き返す
ブナの零戦隊、艦爆隊、ラビを攻撃、前日来、零戦六機、
艦爆二機を失う
      28日 第三艦隊(空母部隊)のfcx30、fox3、ブカに進出し、
第六空襲部隊指揮官の指揮下に入る
fIox18(木空9、沢空9)は第三艦隊の零戦隊と
ガナルカナル攻撃を企図したが、取り止め、
零戦隊は輸送部隊の上空哨戒を行う
ガナルカナル島へ輸送中の駆逐艦12隻、
水雷艇4隻は、
夜間突入を企図したが敵数十機の爆撃を受け、
朝霧沈没、
白雲大破、他の駆逐艦2隻中破、
夜間の上陸困難となり
引き返す
夜間ブカにB-17が来襲したが被害軽微
      29日 R方面航空部隊編成される。
指揮官は第十一航空戦隊司令官
城島高次少将、主基地はショートランド、
前進基地はレカタ、
兵力は水上戦闘機11機二座水偵32機、
三座水偵9機、
主任務はガナルカナル島への増援部隊の直接援護、
ショートランドの上空警戒
ラバウルを発進したfIox18(木9、沢9)はブカのfcx22
(第三艦隊の略)に援護されてガナルカナル島を強襲、
木更津空の一機自爆、翔鶴の零戦一機自爆、
外に木更津空の陸攻一機ブカに不時着
午前、ラバウルにB-17八機が来襲したが被害軽微
ラビへの増援部隊上陸成功
陸軍川口支援ガナルカナル島に上陸成功
      30日 基地航空部隊ガナルカナル島を強襲
第一次 fcx18(3F)は敵機と交戦、自爆四機、未帰還四機
第二次 fcx7(台南空)
 fcx6(3F) fIox18(木9、沢9)は、
敵機を見ず
本日夜間、駆逐艦三隻、哨戒艇四隻で
ガナルカナル島への
陸軍部隊の第二次上陸成功
ラビ方面依然として激戦つづく
      31日 fcx8(台南) fIox18(木9、沢9) fcx6(3F)
 ガナルカナル島攻撃のため
発進したが天候不良で引き返す
ガナルカナル島に敵機30機増援された模様
駆逐艦八隻で陸攻1200名をガナルカナル島に輸送
本日当方面使用可能海軍機
ラバウル・・・陸攻 木更津空 13、三沢空 10
ブカ   ・・・零戦 三艦隊 13
カビエン・・・零戦 六空 13
  17年9月1日 fcx3(3F) fcx9(台南) fIox18(木9、沢9)0630発、
ガナルカナル島攻撃のためラバウルを発進したが、
天候不良のため引き返す
駆逐艦四隻、
ガナルカナル島に陸兵揚陸中敵機が来襲したので
作業を打ち切り、敵機と交戦しつつ帰途につく
ラビのわが部隊、敵飛行場の攻撃を企図したが、
被害大きく、占領の見込み立たず
ラビの部隊に協力のため、第六航空隊の戦闘機隊は
第五空襲部隊指揮官の指揮下に入る
       2日 fcx15(3F) fcx7(台南) fIox18(木9、沢9)0530、
ラバウル発、ガナルカナル島を攻撃、
敵機七機と空戦、零戦二機未帰還、
陸攻隊被害なし
第三艦隊戦闘機隊任務を解かれ、
ブカからラバウルに移動
千歳空の fIox10 ラバウルに進出、
第六空襲部隊指揮官の指揮下に入る
第一航空隊の fcx12 ラバウルに進出、
第五空襲部隊指揮官の指揮下に入る
ラビ方面は激戦中、わが航空部隊、
水上部隊の協力も不成功
       3日 ガナルカナル島方面天候不良のため航空攻撃できず
ラビ方面は最悪の事態となる
天候不良のため、航空部隊による協力不能
       4日 fcx15 fIox27(木9、沢9、千歳9) 
ガナルカナル島攻撃のため発進したが、
全島密雲におおわれ、攻撃えきず引き返す
第三水雷戦隊を主力とする部隊は、
陸軍部隊をルンガ岬東方地区に揚陸
第三艦隊戦闘機は空母に収容された
       5日 fcx15(台南) fIox27(木9、沢9、千9)
ルンガ川敵陣地を爆撃、
敵の戦闘機二十機と交戦、千歳空陸攻一機未帰還
第六航空隊戦闘機、第六空襲部隊指揮官の指揮下に復帰
駆逐艦ルンガ沖の敵艦船を夜襲し、
駆逐艦二隻を撃沈
ラビ方面のわが陸戦隊、全員撤退
       6日 fIox27(木12、沢9、千6) fcx30 
ラバウルからポートモレスビー
攻撃のため発進したが、天候不良で反転す
三沢空の fIox8 トラックからラバウルに進出
       7日 第二十四駆逐隊、陸軍部隊をガナルカナル島に輸送
ガナルカナル島の陸軍は12日に総攻撃の予定
fcx26(六空8、台南18) fIox27(木9、沢12、千6)
0830、ラバウル発ポートモレスビー攻撃、空戦なし
陸攻十機被弾、内二機ラエに不時着
       8日 敵大部隊ガナルカナル島に揚陸中との情報により、
わが水上部隊はこれを攻撃に向かったが敵を見ず、
わが陸上機部隊はこの敵の
攻撃を準備したが間に合わず中止、
(航空部隊は来るべき陸軍の
総攻撃に備え整備中)ショートランドのわが水上機部隊は、
この敵を攻撃
航空部隊の一部、ラビ飛行場を攻撃
ソロモン群島周辺索敵四機発進、
内二機は天候不良でブカに、
二機はカビエンに不時着
       9日 fcx14(台南) fIox27(木9、沢9、千9) 
ガナルカナル島の敵輸送船を
攻撃、敵戦闘機十数機と交戦、千歳空陸攻一機自爆、
三沢空陸攻一機未帰還
他に千歳空陸攻一機ブカに不時着
      10日 ソロモン群島周辺索敵四機
fcx15 fIox27(木11、沢12、千4)
ガナルカナル島敵陣地を攻撃、
敵戦闘機五機と交戦
三沢空陸攻一機自爆、二機未帰還、
一機ブカに不時着、木更津空の
陸攻一機レカタに不時着水、被弾十五機
      11日 fcx15(二空 六空) fIox27(木12 沢12、千3) 
ガナルカナル島
飛行場を爆撃、敵戦闘機四機と交戦
木空陸攻一機自爆、六空零戦一機未帰還、
陸攻五機被弾
六空零戦の一部、空母雲鷹でラバウル着
ブカに敵大型爆撃機十機来襲
      12日 川口支隊ガナルカナル島の総攻撃を開始(1600より)
巡洋艦川内、駆逐艦三隻、
ルンガ泊地から敵陣地を砲撃
四空の索敵四機ソロモン群島の周辺を索敵
fcx15(台南) fIox25(木9、沢11、千5) 
ガナルカナル島を攻撃、
グラマン十七機と交戦
自爆、木空二機、未帰還、沢空二機、不時着、
ブカに陸攻一機、不時着水、レカタに陸攻一機、
機上戦死一名、被弾、陸攻十機
ブナに数次にわたり敵機大挙来襲
      13日 陸軍部隊はガナルカナル島飛行場を占領できず、
占領直後、同飛行場に進出予定の
零戦九機は待機のまま
索敵機はツラギの南東330浬に敵空母部隊を発見したが、
距離が遠く、わが航空攻撃不能
fcx12(台南) fIox27(木8、沢8、鹿9、千2) 
ガナルカナル島の
敵砲兵陣地を攻撃、グラマン八機と交戦、
木空陸攻未帰還一機、
レカタに不時着水一機、鹿屋空陸攻二機ブカに不時着
他の陸攻および艦上爆撃機は地上待機
駆逐艦三隻夜間敵陣地を砲撃
陸軍川口支隊の総攻撃失敗
      14日 ソロモン群島周辺索敵三機(四空)
わが巡洋艦および駆逐艦は、陸軍部隊に協力できるよう
ガナルカナル島付近を行動中
      15日 ソロモン群島周辺索敵三機(四空)
潜水艦伊19号ガナルカナル島南方洋上で
米空母ワスプを撃沈(米海軍も確認)
第四駆逐隊は陸兵約1100名をガナルカナル島に揚陸
      16日 ソロモン群島周辺索敵三機(四空)
山本連合艦隊司令長官、敵航空兵力の
撃滅作戦の続行と、
ブーゲンビル島南端のブイン飛行場の急速造成を発令
本日夜間、敵大型爆撃機隊ラバウルに来襲、被害大、
一機も撃墜できず
天候不良のためガナルカナル島への攻撃隊は引き返す
      17日 ソロモン群島方面索敵四機(四空)
fIox6(沢空) ポートモレスビーの夜間攻撃
(四空の陸攻二機は途中から引き返す)、
三機未帰還
夜間ラバウルに敵大型機隊来襲、
被害大、一機も撃墜できず
      18日 天候不良のためソロモン群島周辺の索敵中止
fcx37 fIox27 ガナルカナル島攻撃のため発進したが
天候不良で引き返す
ガナルカナル島の敵は
巡洋艦、駆逐艦、輸送船で増強中、
第三水雷戦隊はこの敵の攻撃に向かったが会敵できず
      19日 ソロモン群島周辺索敵四機(四空)
      20日 ソロモン群島周辺索敵四機(四空)
第一空襲部隊指揮官市丸利之助少将、
カビエンに進出
本日ラバウル方面所在海軍航空兵力
 fcx73、fbx5、frx1、fIox34、fdx6
      21日 ソロモン群島周辺索敵四機(四空)
fIox27(木9、沢9、鹿9) fcx34 
ポートモレスビーの攻撃に向かったが
雲多く、目標を変更し、
ニューギニアのギド付近の敵陣地を爆撃
第三航空隊ラバウルに進出
      22日 ソロモン群島周辺索敵六機(木更津空)
高雄陸攻三機ラバウルに進出
      23日 ニューギニアのココダ付近の陸海軍部隊に物糧投下
fcx8 fIox8(三沢)は陸軍南海支隊に、
fcx9 fIox3(木空)は海軍陸戦隊に
千歳空 fIox7 はラバウルからトラックへ移動
鹿屋空 fIox8 高雄空 fIox17 はラバウルに進出、
第一空襲部隊指揮官の指揮下に入る
      24日 ソロモン群島周辺索敵五機(高雄空)
fIox27(木9、沢9、高9) ガナルカナル島の攻撃に
発進したが天候不良で引き返す
      25日 天候不良で索敵を行わず、天候偵察のみ実施
夜間ガナルカナル島の航空攻撃もできず
ソロモン群島方面に使用可能の
海軍航空兵力を戦闘機百機、
陸攻八十機となるよう増勢中
      26日 天候不良、索敵と攻撃を実施せず
敵輸送船、ガナルカナル島に増勢中
      27日 ソロモン群島周辺索敵六機、
敵は新作戦実施の気配あり
陸軍第二師団の一部をガナルカナル島へ輸送開始
fcx38 fIox18(木9、高9)
 ガナルカナル島の飛行場を攻撃、
敵戦闘機多数と交戦、陸攻二機(木空、高空各一) 
零戦一機未帰還、陸攻二機不時着
fcx34 fIox27 ポートモレスビーを攻撃
      28日 山本栄大佐指揮の第二航空隊の
零戦二十一機ブカに進出
fcx15 fIox27(沢9、高9、鹿9) 
ガナルカナル島を攻撃、同時に
fcx27 は敵機を求めて進撃、敵機三十機と交戦、
対空砲火甚大、
戦闘機の援護不十分のため陸攻の被害大、
自爆、高雄三機、三沢一機、未帰還、高雄一機、鹿屋二機
      29日 敵戦闘機捕捉のため fIox9 を陽動させ、fcx27 で
ガナルカナル島
上空に突入、グラマンF4F三十数機と交戦、
自爆、零戦一機、
カビエンの零戦隊はラバウルに移動
      30日 fcx9 ブーゲンビル島の南端に新設されたブイン基地に
進出予定のところ、雨のため延期
17年10月1日 fIox1ガダルカナル島夜間攻撃に成功
1日現在の南東方面の
主な航空兵力、fcX91、fbX20、fIox50、fdX5
       2日 fcX27はfIox9の誘導の下に、ガダルカナル島を攻撃
自爆零戦六機
fIox1ガダルカナル島夜間攻撃に成功
第九駆逐隊はガダルカナル島への輸送に成功
       3日 fcX27はfIox9の誘導の下に、ガダルカナル島を攻撃したが、
天候不良の為、敵機捕捉できず
第十五駆逐隊と日進はガダルカナル島へ陸軍部隊を輸送し
この輸送部隊の進路をfcX31、観測機八機、
帰路をfcX26、水上戦闘機二機、観測機五機で上空直衛
陸軍第2師団長丸山政男中将
ガダルカナル島に上陸
       5日 第九および第2駆逐隊の駆逐艦6隻はガダルカナル島への
輸送を強行したが、敵機の空襲を受け、揚陸に成功したのは
3隻のみで、上空を警戒中の観測機自爆
ガダルカナル島の南西方の哨戒に向かった
三沢空の陸攻二機帰還せず
敵艦上機二十一機ショートランド基地に来襲
ラバウルにB-17計八機来襲
第五空襲部隊は4、5両日にわたりブナ輸送部隊の
上空哨戒を行う
       6日 fcX25、fIox27(雷撃)を敵空母攻撃のため待機させ、
0400、索敵機八機でガダルカナル島の西方の捜索したが
発見できず
       7日 ソロモン群島周辺索敵五機
第六航空隊の零戦二十六機、空母瑞鳳でラバウルに進出
駆逐隊六隻と日進はガダルカナル島に輸送
輸送部隊の上空哨戒に向かった第二航空隊の零戦隊は
天候不良のため二機失う、第三一航空隊の九九艦爆隊は
対潜哨戒を実施
       8日 日進のほかの輸送部隊の復路の上空、対潜哨戒を実施
新設されたブイン飛行場に第二航空隊の零戦隊九機進出
fcX25はfIox9の誘導の下に、ガダルカナル島を攻撃に、
向かったが天候不良の為、引き返す
ショートランドのR方面航空隊は、連日の出勤の為
兵力は僅かに五機(水上機、観測機合わせて)となる
ラバウル方面への敵機の夜間空襲はげしくなる
ガダルカナル島の所在の敵機、
戦闘機三十、爆撃機二十、大型機十
合計約六十機の模様
       9日 軽巡洋艦龍田と駆逐艦6隻は
それぞれガダルカナルに島に輸送に成功
fcX25はfIox9の誘導の下に、ガダルカナル島を攻撃に、
向かったが同島上空に敵機を見ず
第十七軍司令官百武晴吉中将
ガダルカナル島に上陸
      10日 六空のfcX29ブカに進出
ガダルカナル島から帰還中の巡洋艦、駆逐艦の上空直衛中の
水上機四機、敵機と交戦全機自爆、R方面航空隊は全滅
ラバウルの第五空襲部隊の陸攻隊はポートモレスビーの
夜間攻撃に成功
日進、千歳、駆逐艦六隻、ガダルカナル島に輸送を強行
「サボ島沖海戦」第六戦隊と駆逐艦六隻は敵艦隊と交戦、
五藤存知少将戦死
      11日 第一次fcX18はfIox9、
第二次fcX30はfIox45でガダルカナル島の攻撃を
実施したが雲のため、成果不十分、帰途天候不良のため
零戦隊はブイン、バラレ、ブカに分散不時着したほか、
多数機行方不明となる
輸送部隊の上空哨戒に当っていた
六空の零戦六機は同部隊の
傍らに着水、搭乗員は駆逐艦に救助される
      12日 輸送部隊の第十九駆逐隊白雲、叢雲は敵機の攻撃を受け、
叢雲は航行不能にとなり、味方の魚雷で処分、
この両艦を救助に向かった第九駆逐隊も敵機の攻撃を受け
夏雲が沈没
敵空母部隊の索敵攻撃を企図し、
まず、索敵機八機発進せしめ
fcX21はfIox41(内電撃機27機)が攻撃のため続行したが、
天候不良で引き返す、
R方面航空隊に補充の水上機到着
ブカに敵機来襲、四機炎上、五機被弾
      13日 栗田健男中将指揮下の第三戦隊の戦艦榛名、金剛、
第二水雷戦隊は二三三〇、ガダルカナル島飛行場を砲撃
飛行場を火の海にとす、
六空の零戦、第三一空の艦爆で
上の部隊の対空、対潜哨戒を実地
上に呼応、三次にわたりガダルカナル島の航空攻撃
第一次fcX10はfIox21、被害なし
第二次fcX18はfIox14、高雄空の陸攻一機
レカタに不時着水
夜間攻撃fIox4(木2機、沢2機)被害なし
ソロモン群島周辺索敵中の三沢空陸攻一機未帰還
ブカに敵機来襲、四機被弾、
第六零戦隊九機、ブカよりブインに進出
わが空母部隊はガダルカナル島
北東海面で
ガダルカナル島作戦を支援中

ガダルカナル島所在の敵機は
十三日の八十機から
十四日朝は二十機に
減少したが、
敵は直ちに二十機を増援
      14日 ソロモン群島周辺索敵三機
輸送船六隻、同護衛部隊はガダルカナル島で揚陸中、
一三四〇敵戦闘機、爆撃機約二十八機
一四〇〇に小型機多数の銃爆撃を受ける
六空の零戦隊は上空哨戒中奮戦したが、
六機が船団付近に不時着水
R方面航空隊の水上機も上空哨戒中散闘
ガダルカナル島の航空攻撃は昼間のみで、
夜間攻撃は取りやめ
第一次fcX18はfIox26、被害なし
第二次fcX12はfIox14、被害なし
第六零戦隊十四機、ブインに進出
巡洋艦鳥海、衣笠、駆逐艦二隻が、
ガダルカナル島飛行場を夜間砲撃
      15日 ソロモン群島周辺索敵三機
ガダルカナル島で揚陸中の笹子丸、吾妻山丸、九州丸は
敵機延べ六十機の攻撃を受け、三隻とも炎上
巡洋艦妙高、摩耶、第二水雷戦隊ガダルカナル島の
飛行場を砲撃
六空、台南空の零戦隊、R方面航空隊の水上機も上の艦隊
上空哨戒を実施
fcX9(ブカ)、fIox27ガダルカナル島攻撃(内4機引き返す)
夜間攻撃fIox4(木2機、沢2機)夜間攻撃に成功
      16日 ソロモン群島周辺の索敵機はガダルカナル島の南110浬に
敵空母発見、fcX12はfIox9この敵攻撃のため発進したが、
発見できず、ガダルカナル島泊地の油槽船を攻撃
fcX2自爆、fIox2未帰還
      17日 巡洋艦二隻、駆逐艦二隻でガダルカナル島への揚陸に成功
駆逐艦二隻で飛行場を砲撃、六空のfcX18でこの部隊を上空哨戒
台南空fcX12でガダルカナル島の上空を制圧
fcX12、fIox18でルンガの敵陣地を爆撃、戦闘機三機と交戦
木更津空陸攻一機レタカに不時着水
六空の全部隊ブインに進出
ブインの兵力、fcX19、fIox8(三一空)
      18日 ソロモン群島周辺索敵四機
六空の零戦、輸送部隊の帰路の上空哨戒を実地
fcX9、fIox14でルンガ川西岸爆撃、
敵戦闘機約二十機の反撃を受け
零戦四機、陸攻三機(三沢)未帰還
      19日 ソロモン群島周辺索敵四機
第九駆逐隊ガダルカナル島への輸送に成功
ブインの零戦隊は述べ十七機でガダルカナル島上空を制圧
天候不良のため航空攻撃は中止
      20日 ソロモン群島周辺索敵四機
六空の零戦は、輸送部隊の上空哨戒中
グラマンF4F、十五機と交戦
fcX12を制空隊として、fcX15、fIox9でルンガ川西方陣地を爆撃
二十日頃の航空兵力fcX51、foX15、fIox30、fdX5
敵ガダルカナル島所在の航空兵力戦闘機、爆撃機二十五機
B-17約十機
      21日 ソロモン群島周辺索敵四機
ガダルカナル島方面の航空攻撃を実施
ラバウルのfcX27、fIox9でルンガ方面の陣地を攻撃、
グラマンF4F、約二十機と交戦
ブインの零戦隊延べ二七機でガダルカナル島上空を制圧
夜間攻撃fIox4(木2機、七五三2機)ガダルカナル島を爆撃
ガダルカナル島の東南約300浬に敵大部隊発見
      22日 ソロモン群島周辺索敵四機
R方面航空隊の水上偵察機、ガダルカナル島の南西に
敵戦艦部隊発見
ラバウルは天候不良のため航空攻撃は実施できず
ブインのfbX12はガダルカナル島の敵輸送船攻撃
1機自爆
ブインの零戦隊はガダルカナル島上空を制圧
ソロモン群島の東方洋上にいた
空母飛鷹は戦闘行動不能となり
トラックに回航を命じられ、
飛行機隊は一部が空母隼鷹に、
その他はラバウルに派遣された
      23日 fcX18、fIox18ガダルカナル島の陣地を攻撃、
三沢空陸攻一機自爆
六空の零戦一二機は、ガダルカナル島の上空哨戒中
グラマンF4F、十機と交戦、未帰還三機、
レカタに不時着水一機
空母飛鷹のfcX16、fbx17、ラバウルに進出、
第五空襲部隊指揮官の指揮下に入る
      24日 ソロモン群島周辺索敵四機
敵艦隊の攻撃に備え、
ラバウル、ブインの航空部隊は待機
陸軍第二師団はガダルカナル島
総攻撃開始
      25日 ソロモン群島周辺索敵五機
陸軍の総攻撃に呼応し、
第八艦隊、第三、第四水雷戦隊は
ガダルカナル島海域に突入
零戦隊は述べ四十六機でガダルカナル島の上空を制圧
空母飛鷹のfcX12、とfIox18ルンガ敵陣地を攻撃、
敵戦闘機十機と交戦、
木更津空、高雄空陸攻各一機自爆
空母隼鷹のfcX12、fbx12、
ガダルカナル島を攻撃
陸軍部隊はガダルカナル島
飛行場付近で激戦中
      26日 ソロモン群島周辺索敵四機
fcX46、でガダルカナル島飛行場の上空を制圧
fcX12、fIox9ガダルカナル島の陣地を攻撃
三一空の艦爆隊と六空の零戦隊は敵艦船攻撃待機
陸軍南海支隊ニューギニアのココダから撤退開始
〇六〇〇、
第十七軍司令官総攻撃中止下令
      27日 ソロモン群島周辺索敵四機
ガダルカナル島の夜間爆撃、木更津空陸攻一機成功
      28日 ソロモン群島周辺索敵四機
fIox3 ガダルカナル島の夜間攻撃に成功
fIox3 ポートモレスビーを夜間攻撃に成功
      29日 fIox2 ルンガの夜間攻撃に成功
fIox9、fIox9、ココダに空中補給を計画したが
天候不良のため取りやめ
      30日 fcX2、fbx6 ガダルカナル島敵艦船攻撃のため
発進したが敵を見ず
      31日 南東方面所在航空兵力fcX51、fIox64、fbX10、
陸上偵察機
飛行艇若干
他に空母隼鷹のfcX16、fbx16
 17年11月1日 fIox3 ポートモレスビーを夜間爆撃
空母隼鷹の飛行隊の一部ブインに進出
海軍航空部隊の編成
替え実施される
       2日 ガダルカナル島への駆逐艦輸送成功














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