海軍機編V


皆さんの意見でこのページはできています、
だだ、私管理者の勘違い等がありますので
間違い等見つけられたら掲示板等で
ご連絡いただけたら幸いです、今後ともよろしくお願します。参考資料、協力作画等、協力大歓迎

掲示版に書き込まれた記事、や本等の記事等
参考に簡単にまとめました。
銀河11型(P1Y1)
Navy
Kugisihyo Dive-bomber Type11 Ginga(P1Y1)

762空・攻撃262飛行隊・梓特別攻撃隊
落合 勝飛曹長機

作画2004年1月7日完成


フラップ作動角指示線と歩行禁止線
「いや~、今頃になってあの銀河のことを尋ねられるとは
思いもよりませんでした。
今思い出してもお恥ずかしい限りです・・・」
これは昭和59年6月 15日、私のインタビューに答えての
落合 勝(甲1期)氏の第一声である。
私が胴体に辞世の句を書いたこの「銀河」を
初めて知ったのは昭和45年頃であった。
それは特攻隊に関する書籍に載った小さな写真で、
やや斜め後上方 から撮影されたものであった・・・
しかし尾翼の番号は判るものの胴体の文字は読めず、
結局本は購入しなかったが、
後日「太平洋戦争・日本海軍機」(酣燈社/昭和47年)を
見て驚いた、何と真横から撮影された写真が掲載されており、
文字がハッキリ確認出来るではないか・・・嗚呼。
後年、谷水竹雄氏の御紹介で落合氏と連絡がとれ、
生存されておられたことに驚きつつも
前述のインタビューとなった次第である。

件の辞世の句は出撃直前にチョークで書いたとのことだが、
「当時、自分ではそんな意識はありませんでしたが
内心は相当に高揚していたのでしょうね、
茜(あかね)と書くべきところを晒(さらし)と
字を間違えてしまいました」と、冒頭の第一声の理由を
笑いながら語る氏に暗い影は微塵もなかった。
落合氏の言ではこの24号機は非常に調子良好な機体で、
ヤップ島へ不時着後他機の搭乗員7名を乗せ
「無事鹿屋へ帰還出来たのはこの機のお陰です」と
の由であるが、決意の句をしたためた
この24号機だけが無傷で帰還したのは
運命のいたずらであろうか。
尚、落合氏は平成7年8月8日他界された・・・
「武夫の行くては同(おなじ)雲萬里えみしの空を
晒(茜)染めけむ」・私にとって忘れ得ぬ日本機の一つである。

情報、監修、解説、優一郎さん、
作画、管理者

参考資料:「太平洋戦争・日本海軍機」(酣燈社/昭和47年)、
「丸エキストラ・戦史と旅(1)」(潮書房/平成8年)、
「世傑スペシャル(1)銀 河」(文林堂/平成12年)、
落合 勝氏の談話

 
 
 
 
紫電三一型 (紫電改一)
Navy
Kawanishi Intercepter Fighter Shiden 31(Shiden-kai1)

作画2004年1月10日
この型式の紫電改の武装は、
紫電二一型の主翼内の20mm機関砲計4門に加え、
機首に13mm機銃2丁を装備した武装強化型である。 
紫電三一型の写真は、今まであまり目に触れる事はなかったが、
実は1955年に大村湾の海中から引き上げられ新聞記事と共に
その引き上げ時の写真が発表されていたのである。
当時は、紫電改一という名称が一般的には知られておらず
新聞報道では「紫電」と報道された。 
しかしそれは一般的な紫電改においても型式表示は
「紫電二一型」とされていたためと思われる。 
引き上げ時には、方向蛇は既に骨組みだけになっており、
最初の文字は確認出来なかったが、
残りの文字の特徴から「7」と推定した。
なお、この720号機は引き上げ後まもなく、
スクラップ処理されたそうである。

情報、監修、解説、pleakさん、
作画、管理者
参考資料:西日本新聞 1955年12月25日
     古い航空雑誌  誌名 年号等不明

月光11型甲(J1N1−Sa)
Navy
Nakazima Night Fighter Gekko(J1N1-Sa)

横須賀航空隊(神奈川追浜基地)
・倉本十三飛曹長・黒島四郎中尉機
昭和20年6月



古い航空ファンには当事者から証言を得た記事が掲載されており、
これには「矢は赤で矢羽の部分は黄で、濃緑色の地に書かれたため、
マークには白い縁取りがしてあります。
この撃墜マークが横に6個、その下に撃破マークが2個。
撃破マークは矢が突き抜けていないだけで撃墜マークと同じです。 
この機体の特徴は、機首の窓がふさがれていること、
前上方20mm斜め銃が3門になっていること、
胴体の日の丸が普通よりも前よりになっていることです。」とある。
今回写真を検証した限りでは撃墜マークの矢は下側へ突き抜けており、
マークの白い縁取りは確認出来なかった。
しかも米軍マークの上に描かれた矢の色の明度が
比較的低いのが少し気になった。こう言ったマーキング類は
手書きでされているので刷毛ムラなども考慮しなければならないのだが、
同一写真上に写っている尾脚に塗られていた色と比較すると以外と近いと思える。つまり米軍マークの白星の上に赤い矢が描かれていたとすれば、
もう少し明度が高い可能性が無いだろうか・・・
今回は縁取りされていない黒い矢もあり得るかもしれないと考え矢の色は
黒色とした。
 
※尚、従来の当事者の証言を否定する物では無い事をご考慮頂きたい。

情報、監修、解説、masaさん、
作画、おかちゃん 2004年2月14日更新
艦上偵察機 彩雲(C6N1)
Navy
Nakazima Carrier Reconnaissance Saiun (C6N1)
彩雲の主翼上面図に描かれている点検孔に関して。
 
現在流布している彩雲の主翼上面図には何故?
数多くの燃料タンク点検孔が描かれているのかが
個人的な疑問の始まりだった・・・
つまりセミインテグラルタンクである主翼に点検孔を設ける事は
燃料タンクに穴を開ける事になるので点検蓋からの燃料漏れ、
つまり燃料シールの問題が当然の結果として生じる。
そして、点検孔は主翼の静強度と疲労強度にも大きな影響を与えるので、
現在に措いても開口部の設計には苦心している事実が在る。
以上の疑問点から、スミソニアンに分解して保存されている彩雲と
戦時中に撮影された数枚の写真を検証した結果、
従来の彩雲の上面図に描かれていた点検孔が
存在していない事が判明した。
何故事実とは違う図が流布しているのか本当の理由を存じないが、
恐らくは昭和30年〜昭和40年頃に発表された図が
何の疑問を持たれずに孫引きされ続けた結果と考えられる。


情報、監修、解説、masaさん、
作図、管理者 2004年2月24日更新


601空の彗星33型
Navy
Kugishyo Carrier Dive−bomber 
Type 33 Suisei(D4Y3)

601空の彗星33型「601−46号機」の従来の解説では
胴体左側側面に描かれている空母に爆弾が貫通しているマークは
撃沈したスコアマークとされているが、
戦歴からしてそう言った事実が無い事から撃沈を
祈願したマークだと考えられる。
又、胴体下面側にも赤帯が記入されているとも言われるが、
複数の写真から考えられる事はパネルラインに沿って
シーリングテープが貼られていたのではないかと思われる。
スピナーの色に関しても従来の暗褐色では無く緑黒色とした。


情報、監修、解説、masaさん、
作画、おかちゃん(ダブレット使用)
 2004年3月23日更新
九六式四号艦上戦闘機
報国ー337(青果号)
Navy Mitsubishi Carrier Fighter Type96-4(A6M4)[Claube]
昭和12年からより生産された四号艦戦は、
終戦時まで使用された優秀な飛行機の一つであった。 
今まで発表されてきた多くのこの機体の写真は、
全面銀色又は緑/茶の迷彩された機体がほとんどであるが、
この様に上面濃緑色の機体も有った。
九六式四号艦戦は、昭和15年まで三菱にて生産され、
この報國−337号機は報国号の調査をされている
横井氏のレポートによると、昭和15年4月7日に
羽田にて献納されているが、当時はおそらく銀翼であったと予想される。
この様に上面とも緑色迷彩をされているので
昭和18年夏以降に再塗装され、報國番号も白文字で
再び書かれた物と考えられる。 同機と共に写っている機体は、
機番号が書かれていないため、
これから配属先に移送される前の状態であろう。


情報、監修、解説、pleakさん、協力masaさん
作画、ta.gucci
2004年4月20日更新

川西 九四式水上偵察機 無線操縦実験機 一号機
昭和一〇年頃より日本海軍内部にも
自動操縦装置を装備する研究が行われた。
操縦者の労力の軽減や操縦者自体の人的節約及び、
操縦者(人間)が遂行不可能な任務をも可能にするために、
無線操縦という形にて、
昭和一五年九月から一六年三月にかけて実験が行われた。
コ−25号機は、その第一号機であり、
当初はこの様に胴体後半部のみ赤色に塗装されていた。 
その後、この機体は、全面赤色に塗装され、
通称「赤とんぼ」と呼ばれたそうである。
無線操縦実験機といえども、搭乗員自身が操縦する事も可能で、
合計6機が製作された。 
実験結果は非常に良好であったそうであるが、
経済的な理由によりその後の開発は中止となった。

参考資料:丸 及び 航空ファン 年号など不明

情報、監修、解説、pleakさん、
作画、管理者
2004年4月27日更新


試製機 流星

試製流星の後部風防は、
写真からの判読ではあるがガラス部分の面積が比較的大きく又、
それ以外でも主脚の脚カバー部分で
タイヤ部分を覆うカバーの下端のアウトラインが直線であり、
単排気管の上部2本が結合しこの部分の4本の間隔が意外と広く
尾輪が引っ込み脚で在るこれらの点は、
視覚的に容易に判断出来る試製流星の特徴と言える。
尚、流星改に措いて上部4本の単排気管の間隔が狭められたのは、
排気管を収束する事で排気流速を高める為だと思われ、
尾輪の引っ込み脚が廃止された経緯には、生産工程の簡素化と
構造重量過多による機体重量の削減策等が在った為だと考えられる。

※試製流星ではエンジンは誉11型を使用し
流星改ではエンジは誉21型を搭載した。

情報、監修、解説、masaさん
作画、ta.gucci
2004年5月2日更新











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