海軍機編


皆さんの意見でこのページはできています、
だだ、私管理者の勘違い等がありますので
間違い等見つけられたら掲示板等で
ご連絡いただけたら幸いです、今後ともよろしくお願します。

参考資料、協力作画等、協力大歓迎
掲示版に書き込まれた記事、や本等の記事等参考に簡単にまとめました。
艦上攻撃機『流星』〔B7A〕4式補助推進装置付き

2003年6月作画
 解説・・・・・
補助推進装置3本付きの流星


写真で見る限り、この「流星」は試作機のオレンジ色のようです。
何時、誰によって撮影されたものか不明で、機体の状況等からして終戦時に米軍によって
撮影されたのではないかと思われる。

補助推進装置を3本後部胴体への装備に伴い、重心位置の後方への移動により
出力変化による操縦性・安定性への影響が飛行テストで判明し横空辺りの格納庫の
片隅に放ってあった機体だと推測されます。


情報、監修、優一郎さん、協力、masaさん作画、管理者
参考資料・世界の傑作機#44「彗星」(文林堂・1973年)
左の「流星」は想像図ですので、機番は架空のものです。
 
 

 
彗星43型(D4Y4)5本、4式補助推進装置付き

2003年7月作画
解説・・・・・
この「コーDYー42」は彗星43型の試作機であり、終戦時の写真に残されている
濃緑色塗装の「コーDYー42」と同じ機体であるが、
それ以前の橙黄色塗装時の図を示している。
当初の計画ではロケットは「機首に2本、後部胴体に3本装備」と伝えられ、
従来より「機首に装備されたロケットの位置は不明」とされていたが、
今回、現存写真からその位置が判明したので再現したものである。

情報、監修、解説、優一郎さん、作画、管理者
参考資料世界の傑作機#44「彗星」(文林堂・1973年)、
「日本海軍機写真集II」(デルタ出版・1997年)
 
 
紫電11型甲 (N1K1Ja) 角型尾翼


2003年7月作画
 解説・・・・・

従来より「紫電は11型乙から水平尾翼が角型になった」と伝えられているが、
不思議なことに現存写真で見る限り、明らかに角型尾翼と判る機体はすべて11型甲であることに気付く。 
何故その様な説が流布されたのかは今後の研究課題に置くとして、
今回は角型尾翼を付けた341空の紫電11型甲の塗装図を示す。

以上。


情報、監修、優一郎さん、作画、管理者
参考資料・世界の傑作機#53
「強風・紫電・紫電改」(文林堂・1995年)、
世界の航空機(1953年7月)、航空ファン(年月号不明)


塗装についてお断り管理者
いい色がでませんでした、一様下の色で御了承ください
上面、暗緑色とし下面色は無塗装ジュラルミン鈑地肌
又、参考の写真では剥がれ落ちた塗装等ありますが
作画は省略させていただきました。

 
雷電32型(J2M4) 352空 
大村海軍第21航空廠製 排気タービン装備機


三菱製のターボ過給器装備機の完成が遅れた事から、其れまでの繋ぎとして、大村の第二十一航空廠で
雷電二一型にターボ過給器を装備された機体。機首左側には大型のアフタークーラー(後部冷却器)用
エアインテークが取り付けられているが、これは過給による温度上昇で一定吸気圧における
空気密度が低下しそれと共に吸入空気量が減少し、デトネーションが発生するのを防ぐ為に
大型のアフタークーラーが取り付けられていた為。単なる推測に過ぎないがエアインテーク後縁には
開閉板が取り付けられ、アフタークーラー内部を通過した冷却空気の排出量を調整していたものと思われる。
胴体右側にはタービンからの排気による尾部の振動を防ぐ為に整流ヒレが取り付けられているが、
他の機体では主翼後縁から尾翼前縁迄フィレットが大型化されているのも確認出来る。

雷電32型試作機 黄色の42雷電21型を改造した。
水平尾翼振動対策の右側面のヒレが荒削りで過度期の実験機ぜんとしている。


その後、MARUさんの調査研究で更に詳細を究めた。
今回は少なくとも4機は作られたと思われる排気タービン搭載機のうち 判明している残り2機を紹介する。



  雷電32型試作機 白の168
雷電11型を改造した空技廠試作の排気タービン搭載機。
 
 
雷電32型試作機 12白の191 
雷電31型を改造した排気タービン搭載機。
 
   

雷電32型試作機 12白の191
雷電31型を改造した排気タービン搭載機。後部まで伸びたフィレットが物々しいが、
水平尾翼振動対策の最終的な答となったのかもしれない。


三菱雷電21型試製ターボ

ずっと謎のままだった機首左側形状が把握出来る写真が、つい最近の雑誌「丸」別冊に掲載されたのを機に図を改定しました。
防火壁前方の中間冷却器空気取入口は従来想像で描いていたものより短く、かつ幅広くごつい形状になっています。また、コクピット下方にかなり大きめの排気孔が存在します。想像ですが、扉は前後にスライド式のようで、ターボ稼働中は開いていたと思われます。

情報、監修、解説、優一郎さん、masaさん

参考資料・・世界の傑作機#61「雷電」(1996年)、
「日本海軍機写真集II」(デルタ出版・1997年)、
「日本軍戦闘機」(戦車マガジン・1991年)、
「東京占領1945」(光文社・1985年)
Ta.gucciさん作画
情報、監修、解説、MARU 優一郎さん、masaさん
 
97式艦上攻撃機(B5N2)
「瑞鶴」機の迷彩「EIIー307号」

作画2003年8月19日
 おそらく97艦攻の中では最も有名な
この「EIIー307号」は、従来から垂直尾翼が「赤」とされているが、写真で見る限り日の丸や機番号の「赤」の明度とは全く
異なっているのが不可解である。 
当時「瑞鶴」機は「濃緑色」と「茶褐色」で縞状迷彩が施されており、そのことから考えると先に塗装した
機番号の部分を避けてその
上下に「茶褐色」が塗装されたもの、と解釈するのが妥当と思われる。 
尚、「翔鶴」機「瑞鶴」機共に、主翼下面には機番号は書かれていないものと推定される。

情報、監修、解説、優一郎さん、
作画、管理者
参考資料・世界の傑作機・航空ファン(年月号不明)
 
紫電改1号機(N1K2−J) 尾輪カバー付き機

作画2003年9月1日


 完成直後の紫電21型(紫電改)1号機には尾輪カバーがあり、尾輪が完全引き込み式であったことが判る。 
しかし尾翼に白で「91」と書かれた有名な写真では量産機と同様の形に改められており、
量産性を優先させた結果と思われる。
何時の時点で改造されたかは不明だが、珍しいので一応塗装図はカバー付きの状態を再現している。
また、機首の防眩塗装は元搭乗員の方より
「紫電(シリーズ)は黒ではなく緑黒色艶消し塗装・・・」との証言を得たのでこれも合わせて再現した。  


情報、監修、解説、優一郎さん、
作画、管理者
参考資料・世界の傑作機#2「紫電と紫電改」(1971年)、
丸グラフィッククオータリー「日本の戦闘機」(1972年)

モデルアート(bT87)・日本海軍機・強風・紫電・紫電改
 
雷電(J2M3
 ヨD-1183
斜機銃の銃口上部には、注意を喚起する為だと思われる「銃口」との文字が手書きで描かれている。
写真では、銃は読めるのだが口は−にしか見えない(縦書き)。
おそら口の文字が胴体側面の足掛けステップ付近に位置していた為に
文字の表面が擦れてしまったのか、又は影になっている為に写真に写り込んでいないものと思われる。
黄色の胴体帯は、データーステンシル上も描かれしかも一周してない事を写真上から判読出来る。
垂直尾翼に描かれた撃墜マークの色は、黄色の胴体帯と比較するとコントラストの違いから
桃色と思われる。
 
 
情報、監修、解説、masaさん、
作画、おかちゃん
 




作画、おかちゃん 2003年10月4日

 
352−20
従来から電光マークには赤の影付とされていたが、これだと影では無く単なる縁取りの様に感じたので
写真を再考証した結果、主翼上面に描かれたフラップ歩行禁止線の赤と赤とされている影とを
比較すると明度が明らかに電光マークの影の方が低い事から電光マークには黒で影がされていたと思われる。
もっとも電光マークは、闇夜を切り裂く雷雲の電光との意味合いが強く電光を立体的に見せる為に
黒の影が付けられていたと考えられる。
 
情報、監修、解説、masaさん、
作画、おかちゃん
 

作画、2003年10月5日
 
ヨD-1140
あくまで推測の域を脱しないが、昭和19年の夏頃に撮影された302空の雷電の長機には垂直尾翼上部の黄色以外に
空戦中の視認性の向上を図る為にカウリング前部、スピナー全部それに胴体帯が黄色に塗られたいたが、
翌年以降になると派手に塗られていた機体を確認出来ない事を推理するとカウリング前部、
胴体帯、スピナーの黄色は廃止されていた可能性も在り得るとの考えから機番号ヨD-1140とした。

情報、監修、解説、masaさん、
作画、管理者
作画参考 世界の傑作機#61雷電
 

雷電  初期型、のプロペラ          後期型のプロペラ
作画2003年10月27日
 
スピナーの塗装に関しての独り言
 
写真を見る限りスピナーの色はカウリングに施された色で左右される様に考えられ、カウリングが暗緑色で塗装された
機体では、スピナーも連続した色で塗られてますので暗緑色となり逆にカウリングを黒色で塗装された機体では、
暗緑色で塗装されたスピナーは無かった可能性が高いと思えます。
スピナーの色には、例外的な物も混在していた一つの可能性として・・元々スピナーは凹み易く当時の方の証言では
消耗品の一部と考えられており、スピナーの前部が凹む等により損傷を受け交換部品とし
他の色で塗装されたスピナーの物と交換した為に前部と後部で色の違いが生じてる可能性が高く、
又その逆にコゲ茶色のスピナー前部が損傷し他の色のスピナーと交換した為にスピナーの色に
例外的な物が在ったのではないだろうか?同じ部隊で多数機に見られる場合は、
スピナーを黄色等の色に塗装されて機体同様に意図的に統一された標識とも考えられます。


情報、監修、解説、masaさん、
作画、管理者
作画参考 世界の傑作機#61雷電
 
震電(十八試局地戦闘機)〔J7W1〕


右の空気取り入れ口 左の空気取り入れ口
作画、2003年10月5日
震電
胴体側面に描かれていたマーキングは従来の説では
空気取り入れ口の表示帯とされていたが、
何故右側のみにしか描かれていなかったのか不明だった。
今回、震電の映像を調べた結果、
胴体側面に描かれたマーキングが左右に描かれていた事が
分かった。又マーキングの記入位置が従来の位置から
若干後退してる事を考えると、
空気取り入れ口付近に在るカウルフラップを
表示する為だったと思われる。
つまり、搭乗の際にハシゴを機体に掛ける時に
開いているカウルフラップの上に掛けてしまうと、形状変形してカウルフラップの開閉に支障を来たしてしまうのを防ぐ為に
マーキングによりカウルフラップの位置を表示していたと思われる。
プロペラの警戒帯は、機首前方からみた方向が表面になり
黄色の警戒標識が描かれている。
機体の後方から見た方向が裏面となり、
警戒標識は描かれていない。
写真では、裏面にも警戒標識が描かれている様にみえるが、
これは機首上げ時に措いてプロペラと地上とのクリアランスが
狭まりプロペラ先端で負圧が生じ滑走路面の
砂埃を巻き上げた結果、裏面のプロペラ上部の
塗装が磨耗してしまったと考えられる。



情報、監修、解説、masaさん、
作画、管理者

作画参考 
ビデオの映像
丸、1976年11月号、
陸海軍試作戦闘機 学研
戦闘機メカニズム図鑑 グランプリ出版

日本陸海軍計画機 (株)光栄

 
震電
胴体側面に描かれていたマーキングは従来の説では空気取り入れ口の表示帯とされていたが、
何故右側のみにしか描かれていなかったのか不明だった。
今回、震電の映像を調べた結果、胴体側面に描かれたマーキングが左右に描かれていた事が
分かった。
又マーキングの記入位置が従来の位置から若干後退してる事を考えると、
空気取り入れ口付近に在るカウルフラップを表示する為だったと思われる。
つまり、搭乗の際にハシゴを機体に掛ける時に開いているカウルフラップの上に掛けてしまうと、
形状変形してカウルフラップの開閉に支障を来たしてしまうのを防ぐ為に
マーキングによりカウルフラップの位置を表示していたと思われる。
プロペラの警戒帯は、機首前方からみた方向が表面になり黄色の警戒標識が描かれている。
機体の後方から見た方向が裏面となり、警戒標識は描かれていない。
写真では、裏面にも警戒標識が描かれている様にみえるが、
これは機首上げ時に措いてプロペラと地上とのクリアランスが
狭まりプロペラ先端で負圧が生じ滑走路面の砂埃を巻き上げた結果、
裏面のプロペラ上部の塗装が磨耗してしまったと考えられる。



情報、監修、解説、masaさん、
作画、管理者

作画参考 
ビデオの映像
丸、1976年11月号、
陸海軍試作戦闘機 学研
戦闘機メカニズム図鑑 グランプリ出版

日本陸海軍計画機 (株)光栄
 











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