知覧特攻平和会館
零戦52型
2005年9月撮影・
写真掲載許可済み

 昭和55年1月に鹿児島県揖宿郡喜入町で潜水業を営なまれていた鳥越氏によって
甑島の手打港の沖合い500mの海域に海没していたのが発見され
近隣の市町村に機体の引き上げを打診したが、
予算の関係により断念し代わって知覧町が海没していた同機を引き上げ、
知覧町内の自動車整備工場での保存作業後に知覧特攻平和会館内へ展示され現在に至っている。
因みにスピナ部分の赤色は引き上げ時の写真ではスピナはこげ茶色だった事から
保存作業を行った自動車整備工場で施された可能性が高く、
残念ながらオリジナルとは言えないであろう。
しかしながら、操縦席内部はオリジナルな状態を維持してる為に操縦桿に残された色と
上部に残されたスイッチ及び座席の形状等が確認できる。
同機の機体部品に残された製造番号から中島62343号と判明し、
203空戦闘第303飛行隊の谷水竹雄上飛曹の乗機で在った「03−09」 
中島32374号機とは31番違いから、同飛行隊の所属機で鹿児島基地を飛立った後に
未帰還機になった内の1機で在る可能性が高い。

下面追加 2007年







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