陸軍機編U


皆さんの意見でこのページはできています、
だだ、私管理者の勘違い等がありますので間違い等見つけられたら掲示板等で
ご連絡いただけたら幸いです、今後ともよろしくお願します。


参考資料、協力作画等、協力大歓迎
掲示版に書き込まれた記事、や本等の記事等参考に簡単にまとめました。

キ-109 排気タービン装備機


雑誌等でもあまり取り上げられることのないキ-109ですが、その中でも最もマイナーな排気タービン装備機です。
高空性能向上を目的に、試作第2号機に「ル-3排気タービン」を装備した機体です。
作画の元になった図面が「日本航空機総集」三菱編(出版協同社刊)83頁に、
写真が写真集「日本の戦闘機」(光人社刊)168頁及び、
世傑#98「陸軍 四式重爆撃機・飛龍」20頁に掲載されていますので参考にしました。

情報、監修、解説、優一郎さん、
作画、管理者


四式重爆「飛龍」雷撃機型 第九八戦隊


四式重爆「飛龍」雷撃機型 第九八戦隊

従来の説では、7〜9百番台が第三中隊所属機
(本によっては、1〜3百番台が第一中隊所属機 4〜6百番台が第二中隊所属
機)とされていますが、それは間違いで、
飛行第九八戦隊に所属されていた方の手記により、
第一中隊は7百番台、第二中隊は8百番台、第三中隊は9百番台 が正解です。
なお、電探は攻撃隊長レベルの一部の隊長機にしか装備されていませんでした。

昭和19年10月14日 第九八戦隊より計27機が出撃
攻撃隊:27機(全機雷装) 指揮官:宮崎満少佐(陸士50期)富永大尉機に搭乗
    第1隊 指揮官:富永大尉(陸士53期)富永大尉機のみ電探装備
    第2隊 指揮官:古川大尉
    第3隊 指揮官:瀬戸大尉(陸士53期)

第1隊 第2編隊長機 932号機
機   長 :平田英一大尉(陸士 54期)
副 操 縦 士 :江田兵長(海軍)
偵   察 :味沢美代治兵曹(海軍)
電   信 :西山三郎右衛門伍長
機 関 士 :佐藤三郎軍曹
射手(尾部) :山田兵長
射手(後上方):鎌田静憲曹長
(沖縄 北飛行場付近にて不時着水)

帰投:第3隊 第二編隊長 斉藤大尉(陸士 54期)機 一機のみ


情報、監修、解説、道草さん、
作画、おかちゃん





二式戦闘機 鐘馗
 
 
鐘馗の尾輪扉についてMARUさんからご指摘を頂いたので、図にしてみた。
旧来公表されている図面やキットでは、尾輪扉の位置関係が間違って流布されている。
同機のそれは飛燕や疾風等にみられる単純な開閉式とは異なり、
内側にあるアームとバネの作動により胴体外板にそって上方にスライドする方式である。(イラスト参照)
つまり尾輪を出した状態では扉は胴体外板と重なる。
したがって飛行中の状態では上図の様に扉はずっと下方に位置することになる。
つまり既存の図面やキットの尾輪収納部の切り欠きはあまりにも深すぎるので注意したい
 

これもMARUさんからのご指摘で私が知らんかった事実を一つ…。

鐘馗の増槽の燃料注入口は左右ともタンク前方上面右側にあるとばかり思っていたが、
面白いことに左右対称に作られており、それぞれ翼端側から給油出来るように配慮されていた。
これに伴い主翼燃料タンクへの送油管も左右対称の位置にある(つまり右用タンクと左用タンクがある訳)。
既存の図面ではこの点解りにくかったが、キットを作る場合は修正が必要だろう。
尚、上記のような措置は97戦の増槽でも全く同じである。

 
細かい事だが、鐘馗、隼等の主翼下面にはジャッキステー取付位置を示す罫線が赤で描かれている。
隼は増槽架外側の付根に前後二箇所。鐘馗は前に一箇所ある。
基準点の主測点を点検確認する時や主脚等の保守点検には不可欠である。

 
MARU&Ta.gucc鐘馗

40mm砲バリエーション

1)は2143号機に見られる砲身のみ突出したタイプ

2)は1747号機に見られる(1)のタイプにカバーが付いたもの。

3)は砲のタイプが異なるのか?砲先端部が二段になりイボ状(都合4ケ 所)のカバーを追加した大型タイプ。

4)はさらに砲先端までカバーが一体となったタイプ。
 (あるいは先端部はただのキャップかもしれないが…)

40mmの説明の前に少々。
実は陸軍の戦闘機の中で主翼に初めて12.7mm機関砲を積んだのは鐘馗です。
しかも、ただでさえ薄い主翼にこの装備。空気抵抗に対し、すこぶる気を使っていたのは当然です。
一連の12.7mm用の各種キャップの形状にも試行錯誤の後が垣間見えます。
で、本題の40mmの件です。
基本的に銃と言うよりは薬莢排出機構無しのロケット弾をライフリングの付いた筒から飛ばす…未曾有の砲です。
その大きさ形状もさる事ながら空気抵抗には特に神経を使ったでしょう。
昭和19年末期にみられる…ただ単に装備した・図。20年初頭になるとテーパー無しのカバーが取付られ、
少しでも空気抵抗を軽減する努力が払われています。さらに20年の中期には・テーパーを付けてより
空気抵抗を軽減する形状に進化しています。
そして・に至ると筒先にまでキャップが登場して流線形を呈します。
(この間に40mm砲自体も構造的な進化を遂げているようです)
つまりこの図は試行錯誤による進化の変遷を垣間見る手助けとなっています。
更に良く見ると、カバーと砲にかなりの隙間があるのは発射時の衝撃に対処するクリアランスでしょう。
長くなりましたが、結論は空気抵抗軽減であり、試行錯誤が形状の妙となってあらわれている…

 
飛行第70戦隊吉田大尉機
二式単座戦闘機二型丙
 

今回はあまりにも有名な吉田好雄大尉(航士55期)機を、新たな考証のもとにイラストにしていただいた
吉田大尉は第三中隊長であり、
当然のように尾翼の戦隊マークも第三中隊の黄(第一中隊・白、第二中隊・赤)で描かれたイラストが多いが、
同機の全体写真ではどう見ても赤にしか見えない。
もし赤だとすれば当時同隊はすでに飛行隊編成を採用しており、中隊は便宜上のものだったことと関係があるのかも知れない。
また、この11号機には他部隊と同じく40mm砲を搭載したことがあったとのことで(時期不明)、
大変興味深いのでイラストは同砲搭載の図にしていただいた。
尚、撃墜マークは6個だが、吉田大尉は19年9月8日に満州の鞍山でもB-29を1機撃墜している。



解説、監修Maruさん
作画、ta.gucci     2014年10月19日


 

二式高等練習機 キ-79
第113振武隊(隼天剣隊)



複座の乙型

 昭和20年6月6日知覧を発進して慶良間湾に向かう、第113振武隊(隼天剣隊)の二式高練と云われています。

あくまで写真との比較ですが部隊マークの剣立ては
剣は白、丸は赤、柄の部分は黄色にも見えますが、おそらく白、縁は赤です。

後方の風防の取り外しは見張りがし易くする為だと思います。
普通、風防を取り外したらエンジン音と風切り音が大きくなり教官の声が
聞き取り辛くなりますがこれは他の練習機との空中衝突を避ける為と
敵機を発見し易くする為に敢えて傷等で
見え難くなった風防を取り外したと考えられます。
 
車輪泥除け板は両車輪の真上(脚柱)に取り付けます。
また泥よけ板の内側と外側に前後にワイヤーがあり、
都合4箇所からワイヤーが張られていました(揺れ止めの為と思われます)。 
 
車輪が跳ね上げる泥から機体を守るためです
一部の機体で車輪カバーを外しているのは整備の便もあるでしょうが、
不整地での使用での泥づまりを防ぐ意図もあると思われます。
でも、実際には泥は機体(主翼下面)に跳ね上がりますので、泥よけが必要なのでしょう。

解説、管理人、協力Maruさん、masaさん、ta.gucciさん
作画、ta.gucci     2014年9月17日


開放型の風防単座の甲型
 陸軍では銀色の機体は味方識別帯を赤で塗られた機体もある
との証言もあるので赤のイラストも
ただ迷彩に塗られた時に黄橙色に塗られている可能性は高い。

 二式高等練習機(キ-79)第44教育飛行隊

今回のイラストでプロペラは木製か金属製か確認が取れませんでした。
二式高練は資料も少ないことから、これらのイラストは大変貴重になればいいなと思っています。


  今回は地味ではあるが多彩な塗装例の多い二式高等練習機(キ-79)をイラストにしていただいた。
残された記録によると第44教育飛行隊は、終戦時マレー半島のクアラルンプールで解隊された。
この「れ」号機他「し」号「へ」号「や」号機の写真はシンガポール近郊のカラン飛行場で撮影されたとのことである。
第113振武隊の例でも明らかなように末期には二式高練も特攻に使用されたが、
第44教育飛行隊の「へ」号機にも爆弾架が見られ、
写真に残る同隊のほとんどの機が増槽を装備していることから、
あるいは同隊でも特攻作戦が計画されていたのかも知れない。

解説、協力Maruさん
作画、ta.gucci     2014年9月22日

タイヤは97式戦闘機と同じものと思います。
プラモデル等で再現される方に



 
 










inserted by FC2 system