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飛燕編


皆さんの意見でこのページはできています、
だだ、私管理者の勘違い等がありますので間違い等見つけられたら掲示板等で
ご連絡いただけたら幸いです、今後ともよろしくお願します。


参考資料、協力作画等、協力大歓迎
掲示版に書き込まれた記事、や本等の記事等参考に簡単にまとめました。


飛行第55戦隊
飛行隊長矢野武文大尉機か?


これも以前から有名な写真で、尾翼に〇で囲んだ「矢」の字を描き、
胴体に青帯を入れた飛行第55戦隊の機体があり、
この「矢」の字は同隊の飛行隊長矢野武文大尉の頭文字で、同機は矢野機であると云われている。
しかし同機の左隣に、やはり尾翼に(〇で囲まれてはいない)「矢」の字を描いた機体がもう一機写っている・・・
これは隊長機を確定するまで、とりあえず調子良好な機を複数機ピックアップしたのだろうか?・・・
しかも、不鮮明ながらこの機の胴体には太い青帯が二本あるようにも見える。不可解なことである。

2015年8月20日
情報、監修、解説、MARUさん
作画、ta.gucciさん

飛燕キ61-1丁
熊本県健軍飛行場
元、飛行第59戦隊第2中隊所属の機体

終戦後(1945年10月15日)米軍の撮影班により写された非常に鮮明な写真である。
この機固有の来歴は不明だが、終戦直前には各隊から特攻用の機体がかき集められており、その一機と思われる。
二ヶ月間も放置されていたため塗装の褪色が激しいが、
機体自体に全く損傷はなく(方向舵のみが第5錬成飛行隊のものと交換されているが)ほぼ完全な状態であり、
慣性起動器のハンドルが差し込まれていることから、米側で飛行試験をする予定があったのかも知れない。

2015年8月15日
情報、監修、解説、MARUさん、ta.gucciさん、管理者
作画、ta.gucciさん
飛燕キ61-1乙
 飛行第244戦隊21号機
従来からよく知られた写真だが、操縦室側面にB-29の撃墜マークがあることは案外見落とされている。
よく見ると上下二段に描かれており、イラストではマークの大きさから推定して上段4個、下段1個の合計5個としたが、
通常左から描き始めるとすれば下段も4個かもしれない・・・となれば、8機撃墜の強者である。
また、脚カバーに描かれた機番号の書体と、上記の撃墜マークから飛行第244戦隊の使用機と推定される。

2015年8月15日
情報、監修、解説、MARUさん、
作画、ta.gucciさん
飛行第68戦隊・竹内正吾大尉機
 「かねてより有名な飛行第68戦隊・竹内正吾大尉機を、
新たな考証に基づき管理者さんに作図して頂きました。
 竹内大尉の乗機には、胴体側面に「赤鷲型」の撃墜マークが多数描かれていたことが知られていますが、同機を目撃された方の言では
最初に完全な「鷲型」のマークが一つ描いてあり、
その後に「羽根型」のマークがたくさん並んでいた・・・とのことです。
 おそらく竹内大尉は、前身の飛行第64戦隊時代に描かれていた(想い出の)「赤鷲」マークを愛機に描き、自身のパーソナルマークとしていた
 ものと考えられます。 
図ではマークが54個付けられた状態を再現しました」


情報、監修、解説、、優一郎さん
作画、管理者
2006年7月17日
飛行第55戦隊
昭和20年夏 佐野飛行場 飛燕1型丁
  情報、監修、優一郎さん
作画、管理者
2006年8月13日
飛行第68戦隊か?
昭和18年7月
  情報、監修、優一郎さん
作画、管理者
2006年8月13日



















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