わが国の航空機用塗料史

著者 木村 哲史
監修 渡邊 諒一

ニトロセルロース系ドープ・アセチルセルロース系ドープ


ハンス・グラーデ1910年型機
写真 航空スポーツマガジン ヒコーキ野郎
(発行 社団法人日本飛行連盟)

アンリー・ファルマン1910年型機
写真 航空スポーツマガジン ヒコーキ野郎
(発行 社団法人日本飛行連盟)

明治43年11月、飛行機の購入と操縦の習得を行う事を目的として、陸軍臨時軍用気球研究会から欧州に派遣された日野熊蔵歩兵大尉(ドイツ機関係)並びに徳川好敏工兵大尉(フランス機関係)の両委員によって購入されたハンス・グラーデ1910年型機とアンリー・ファルマン1910年型機が横浜港へ輸入され、中野の気球隊に運搬されて組立てられた。 これらの機体の主翼の羽布部分にはニトロセルロース系ドープ塗料(硝酸系羽布塗料)が使用されていたので 、陸軍はこれらの製造研究を民間の藤倉合名会社(現、藤倉ゴム工業株式会社)、日本自動車株式会社等に依託した。

調査研究の末、大正3年にはセルロイド屑等をアセトン、酢酸アルミ等に溶解したニトロセルロース系ドープを製造し、陸軍臨時軍用気球研究会や海軍航空術研究委員会に納入された。

因みに、第一次大戦中にこのニトロセルロースが可燃性である事から不慮の災害が度々起こり、欧米各国では次第にアセチルセルロース系ドープ(酢酸系羽布塗料)が使用される様になった。

その後大正7、8年頃、フランスから飛行機の製作指導を受ける様になってから、ニトロセルロース系ドープ塗料はフランスから輸入されていた。 大正8年春、陸軍の要望によって仲西他七等は日本特殊塗料研究所を東京品川に設けて、アセチルセルロース並びにアセチルセルロース系ドープの研究に着手しアセチルセルロース系ドープ塗料を完成させ軍部最初の指定を受けるに至った。

大正10年に同研究所は日本弾性漆器株式会社と合併して日本高級塗料株式会社となり、東京笹塚で本格的な製造を開始した。 当初の関係者は長谷川直蔵、手塚千代吉、仲西他七らであり、後に渡利吉、宮坂良一、寺島正冶、秦守、下村辰雄らが加わり運営された。 その後、仲西他七は昭和4年6月に日本高級塗料株式会社から分かれて日本特殊塗料合資会社を創立し、昭和8年には東京府下北豊島郡王子町で金属塗料の製造と併せてドープの生産が行われた。

当時の我が国に於いては、酢酸繊維素の製造は原料繊維に優良なものが得られずに脱脂綿等を使っていた事と無水酢酸が高価であった事が原因で、輸入品に圧倒されて数年足らずして酢酸繊維素の自家製品は中止され、専らフランスのローンやスイスのバーゼルの物が輸入されるに至った。

当時の陸軍では、羽布のドープには当初から透明な物が使われていたが、紫外線による羽布の影響を考え、大正11年からは耐久力の見地から顔料の入った灰緑色のものが用いられる。 海軍では透明下塗、赤褐色中塗、銀色上塗の様式が採用された。

満州事変を契機として原料の国産化が漸次進み、輸入に頼っていたニトロセルロースも、昭和9年頃から日本合化成で製造されてから大日本セルロイド、日本窒素がこれに次ぎ、更に太平洋戦争中には鉄於興社でも製造される様になった。

初期のドープは刷毛で塗装されていたが、昭和7年頃には吹付け用の物が完成し、昭和9年頃には塗装面の空気抵抗を減少する為の所謂、平滑仕上げ塗料も完成した。 海軍では羽布塗料の耐湿性の問題からアセチルセルロース系ドープの再検討も行われたが、機体構造が軽金属製に移行され羽布張りは尾翼、昇降舵、方向舵、補助翼等にしか用いられなかったので、必要性は起こらなかった。 太平洋戦争の末期の昭和19年には軽金属の不足から木製が用いられる様になり、木材に羽布を貼着するため、再びニトロセルロース系ドープが用いられる様になった。 日本油脂、日本特殊、北河製品、藤倉科学、日本自動車、東亜科学の他 昭和10年から日本ペイント、清和科学でも製造に従事した。

東京帝国大学航空研究所に措いても厚木教授によって羽布塗料に用いられる酢酸繊維の研究が行われ、大正13年より昭和3年にわたって酢酸繊維等の製造に関する研究が行われた。 昭和5年から6年には酢酸繊維の熟成に関する研究、酢酸繊維の分解についての研究、その安定剤の研究が行われ、これらの結果に基づき所内に一回約50kgの酢酸繊維を製造するパイロットブラントを建設し、工学的製造の研究へと移り、約200回の試験によってその製造に確信を得ていた。 この研究で所得した特許権は後に大日本セルロイド株式会社に譲渡され、長野県荒井町で実施して成功を収めた。 昭和9年以降は、金属機に対する塗料 特にベンジルセルロース系塗料についての研究も行われた。

性能

 羽布塗料は収縮性があり、速乾性で塗面が平滑で塗膜重量が軽く、耐寒性、耐熱性、難燃性、耐油性、耐候性が要求される。 陸海軍では各々に仕様書・規格を作っていたが、戦時中には日本航空規格に統一され種類は下記の通りである。

種  別

用途

アセチルセルロース系ドープ 

第一種

吹付け用

透明・有色

第二種

刷毛用

透明・有色

薄め液

ニトロセルロース系ドープ

薄め液

刷毛用

透明・有色












ドープ生産量

年 度

生産高
(t)

年 度

生産高
(t)

昭和17年

2,300

昭和19年

3,400

昭和18年

3,500

昭和20年

  700


※昭和15年11月から翌16年10月31迄の年間生産実績は陸海軍合計でドープ生産量は1186t、
その内日本特殊塗料の生産分は
 

陸軍            羽布   47t     (1万7千円)

          軽金属塗料   232t    (64万2千円)

海軍            羽布  150t     (38万4千円)

          軽金属塗料  436t    (133万4千円))

 

日本特殊塗料株式会社四十年史より

 

軽金属塗料

航空機に使用されていた金属部分への初期の塗料は、ラッカーや油性系の速乾塗料を専ら塗装していたが、
昭和3、4年頃から全金属製機が出現した事から優秀な軽金属用塗料が必要となった。
昭和4年6月、仲西他七は東京王子に合資会社を創立、専ら軽金属塗料の製造研究を開始し、ベンジルセルロースを主成分とする軽金属塗料(T・T 金属用塗料)を完成させ昭和5年7月には日特創業第一回目の新製品「T・T金属塗料」の発表を行った。最初のカタログ「テーテー金属塗料二就テ」では次ぎの様に述べられていた。

 

 

金属用特殊防錆塗料御採用御願

品名 テーテー金属塗料

現時航空機、自動車、汽車、電車等二ヂュラルミン或ハスチールガ主用セラル、ニ至リ之レガ防錆ト保護ハ内外国共熾ニ研究致シ居リ候モ未ダ完全ナルモノ無之様及聞居候弊社ハ夙ニ玆ニ鑑ミ鋭意研究其全能ヲ尽シテ之レガ完成ヲ期シ漸ク今回此等金属用特殊塗料ヲ創製仕候其特徴及使用法ハ別紙甲及乙ノ通リニテ其原料ハ総テ国産品ヲ以テ補給シ得ベク今日迄ノ研究苦心ノ経過別紙丙ノ通リニ御座候間何卒御試験被成下御用命相賜リ候ハヾ弊社ノ本懐不過之玆ニ謹デ奉懇願候 謹言

昭和五年七月

東京府下王子町豊島八七三番地 

日本特殊塗料合資会社

電話 王子 一四四ニ号

 昭和5年9月に陸軍から航空機用塗料としての指定を受け、続いて昭和6年5月に廣海軍工廠で使用されると同時に海軍機用航空機製作会社の用命を受けるようになり、昭和7年10月には正式に海軍の登録を受けた。 このT・T 金属用塗料が、ベンジルセルロース系金属塗料の草分けである。

当時の欧米では未だベルビン、ライランド等を主成分とする油性系塗料が用いられていた。 ベンジルセルロースはドイツの化学薬品メーカーI.G.社のものが用いられていたが、昭和9年頃から保土ヶ谷、旭電化、呉羽化学で製造される様になった。 溶剤、可塑剤中、アノン、ベンジルアルコール、燐酸トリクレシル、燐酸トリフエニル等も輸入に頼っていたが日華事変以降、全部国産品を使用する様になった。 因みに当初陸軍では透明下塗、灰緑色上塗であったが、後に戦時中の実用機には黄緑色を用いたり、赤褐色下塗、銀色上塗も全て暗緑色の迷彩色を用いたりした。

尚、降着装置や発動機架等の荷重を受ける部分には疲労破壊を防ぐ目的として、表面に生じた亀裂や傷の発見を容易にする為に黒色塗料が用いられていた。

金属用塗料の主要材料である繊維素エーテルの実験的製造を、日本特殊塗料は昭和7年5月に開始し同年12月にはエーテルの工業的設備を備えた。 翌昭和8年10月に同社によって生産されたエーテルが、陸軍航空本部より実用に供しうるものと認められている。

 ※日本特殊塗料株式会社四十年史では昭和19年3月15日に軍需廠が示達した昭和19年度生産量は金属塗料8000t、薄め液を入れると9750t、羽布塗料6450tとなっている。尚、日本特殊塗料の割当は金属塗料2000t、羽布塗料1200t、19年の4月から5月にかけて月額400tを生産していた。

零戦の外板等
写真提供日本陸海軍の翼のかけらの杉山さん。


性能

 軽金属塗料は耐蝕性、密着性が良く速乾性で塗面が平滑で塗膜重量が軽く、耐寒性、耐熱性、耐油性、耐候性が要求される。因みに塗料の種類については、機体の外面塗料に用いられる軽金属塗料や第一種迷彩塗料以外にパテ水密塗料、油密塗料、浮子塗料、雪橇塗料、管系色別塗料、エンジン用塗料、金属製プロペラ用塗料等、様々な塗料と多くの色が使用されたが、しかしながら色見本帳に収録された色の全てが用いられた訳ではない。陸海軍で陸海軍購買規格等様々な色規格が作られたが、戦時中は日本標準規格(JES=現JIS)を元にした日本航空規格に統一され、「日本航空機規格規 第8606 航空機用塗料色別標準」が昭和20年2月5日に出された。

航格 第8606

仮規117

(呉市海事博物館)

種 別

質別

用途

下塗

赤褐色、灰藍色

ベンジルセルロース系金属塗料

中塗

淡青色

第一種

上塗

各 色

第二種

単独塗装用

第三種

単独塗装用

薄め液

軽金属塗料生産量

年 度

生産高
(t)

年 度

生産高
(t)

昭和17年

4,300

昭和19年

4,600

昭和18年

6,000

昭和20年

 460

団体

 航空機塗料の統制団体としては、昭和14年に日本航空機用塗料工業組合、昭和17年に陸軍航空工業会非金属部会塗料部会、昭和19年には航空工業会第二化学工業会第六部会へと変わった。

日本航空機用塗料工業会

藤沢乙三が主宰をして航空機用塗料を製造していた日本特殊塗料、そして藤倉科学工業(藤化成)、高級塗料(日産科学と合併)、東亜ペイント、北河製品所、日本自動車の6社によって工業会が結成された。

昭和17年には国家総動員法を基盤とした統制機関である油脂統制会が発足した。 塗料の統制業務はA枠に陸軍、B枠に海軍、C枠に一般、D枠に航空の4枠に分割して統制されて、4大分野が個々の統制機関を持ち、軍機の秘密保持の名の下に塗料の総合統制を互いに拒否した。 資材の欠乏から、昭和18年には日本ペイント、大日本塗料、関西ペイントなどに代替用塗料の製造を分割するようになり、航空機用塗料の全ての計画を樹立、統制業務を行い、同年末からは物動計画で決ったA枠の資材によって業務は油脂統制会に陸軍は移管したが、B,D両枠は終戦迄単独統制機関を待った。

フェノールレジン塗料

航空機用塗料にフェノールレジンを使用したのは昭和5年頃で、当時はアルバートル(主に油ワニスの塗料用油のボイル油に添加される油溶性合成樹脂)のK6S,I.Gの26M等を主として使っていたが、耐油性、密着性等の点で品質の向上を要求される様になり、昭和6、7年頃から軽金属用塗料の研究を製造会社で始めた。

当初は石炭酸を主成分としていたが、昭和17、8年頃から石炭酸の代替としてクレゾールも用いられる様になる。 その使用量も当初は2~3%程で在ったが、後には10%程迄使用される様になった。

耐油塗料

 航空機の燃料タンクは燃料の持つ腐蝕作用による燃料漏れを防ぐ目的として、油密塗料(燃料油槽気密剤)が用いられていた。昭和12年、金属塗料と同一成分のベンジルセルロースとフェノールレジンを主成分とした顔料を含まないものが日本特殊塗料株式会社で製造されたが、その後ニトロセルロースと琥珀酸又はフタル酸を使用したグリブタルを主成分としたものが用いられ、日本高級塗料、北河製品所等で製造された。 また同じ頃、三菱化成株式会社のアクリル酸メチルエステルを主成分としたヒシブレン、日本航空機機材株式会社のアクリョンも用いられる様になった。

昭和19年頃から耐アルコール性油密塗料として三菱化成はアクリル酸メチルエステルにアクリルニトリルを加えた物や、日本特殊塗料でブナゴムを主成分として耐アルコール油密塗料が作られたが、航空機燃料の燃料組成が変わるのでこれに対処するのに苦労した経緯が在る。 昭和20年3月には耐アルコール油密塗料とて実用化した。

因みにブナゴムは、耐アルコール、耐ガソリン性が良好では在る反面、密着不足で在った事から各種天然及び合成樹脂を選定した結果、セラミックをエチレングリコール等にてウエエステルングを行った加工セラミックが良好で、これにニトロセルロースを加えれば更に良好であった。

防弾タンク用耐油弾性塗料

防弾タンクの主体は天然ゴムである。 内面は合成ゴムを用いられるが、当時の我が国に於ける合成ゴム生産量では限度が在った事から、天然ゴムに耐油性の弾性塗料を塗装する事が発案され、二つの新塗料の製法が研究された。

(A)ポリメチルビニルケトンのラテックス又はアセトン、二塩化エタン溶液を天然ゴム内面に塗装する。 
天然ゴムとの接着も良く石油系統に対しては十分な耐油性が在るので陸軍用に使用される事にはなっていたが、燃料事情の変化から耐アルコール性を必要とする様になり、その方面での研究が必要となった。

(B)塩化ビニリデン重合物のアセトンベンゾール混合溶剤に溶解したものを用いる。 塗料の性能としてはAと同じでは在ったが、ゴムに対する接着性では劣った。 しかし、後の調査で含メタノールガソリンにも十分使用可能で在る事が判明した。

発光塗料

 計器の文字板や指針に使用された暗闇でも発光する塗料で在るが、その主成分は硫化亜鉛粉末である。 単体では発光しないが、結晶が破壊される際に瞬間的に発光する。 この結晶の破壊作用を連続的に起す為に、硫化亜鉛の小結晶にラジウムを1.5~0.1/1,000位の割合で混入し、これに接着溶剤等を配合したものが発光塗料である。
 
国内では、日本夜光塗料株式会社、光科学株式会社、東洋化工株式会社の3社によって生産されていた。

三菱重工業株式会社 
名古屋航空宇宙システム製作所 小牧南工場 史料室

 写真掲載許可済み
HP公開2005年10月20日

戦中の塗料

戦争が長期化するに伴い、アセチルセルロース塗料やベンジルセルロース塗料等の原料不足から、ニトロセルロースラッカーを代替するようになった。 終戦近くには速乾性のエナメル、主としてフタル酸樹脂エナメルも航空機塗料として使用される様になった。

クローム酸亜鉛プライマー

 防錆用クローム酸亜鉛がイオン化して発錆を防止する事から、適度にイオン化するクローム酸亜鉛の製造研究が完成した為、ジンクロメートプライマーとして鋼鉄、軽金属の防錆塗料として商品化され錆び止め塗料に用いられる様になり、昭和12年4月に航空機用鉄鋼防錆ペイントが海軍臨時購買名簿に登録された。

 塗料の製造会社と商品名は以下の通りである。

日本ペイント株式会社

ジンクロメート 塗料

日本油脂株式会社

ダイオー

日本特殊塗料株式会社

ジンクロ

東亜ペイント株式会社

ジンカー

中央ペイント株式会社

ジンクロメート

中国塗料株式会社

ジンクロメート

関西ペイント株式会社

ジンクロメート

川上塗料株式会社

ジンクロメート

大日本塗料株式会社

ジンクロメート

大同塗料株式会社

ジンクロメート

神東塗料株式会社

クロームコート

アルミニューム塗料


96式艦上戦闘機
写真提供 優一郎さん

未公開写真の為複製防止の為トリミングしました。

96式艦上戦闘機
写真提供 杉山さん

日本では塗料原料を輸入品に頼らず昭和3年頃に昭和ペイントによって製造がなされ、その不透明度が高い事から紫外線に対して不透過性を持ち、しかも耐湿性の高い事から耐水、防錆塗料として用いられる様になった。室温で60%の湿度に14日間、室温で95~100%の湿度に14日間置いたアルミニューム塗料の耐湿試験の結果、塗装しなかった物の耐湿度を0%とした場合のアルミニューム塗料は92%もの耐湿度を示した。しかしながら、航空機の機体に耐蝕性の高いアルクラッド材が用いられる様になると、羽布の銀色上塗以外には次第に用いられなくなった。日本特殊塗料株式会社に措いて腐蝕性の高いマグネシュシュウムを用いてワニスとアルミニューム塗料の防錆効果を比較試験した結果では、耐水性の高いダンマル油ワニスが比較的良好な結果を示したが塩害に対する防錆性は低く、アルミニューム粉末を添加した塗料は高い防錆性を示した事が確認されている。塗料の反射率がアルミニュームの反射率85%に次いで60~75%と高く、鉄製のタンク類に塗ると腐蝕を防ぐと同時に貯蔵物の蒸発損失を防ぐ事から石油タンクに用いられる様になった。

水密塗料


97式飛行艇
写真 航空スポーツマガジン ヒコーキ野郎
(発行 社団法人日本飛行連盟)

二式飛行艇
海上自衛隊鹿屋航空基地史料館展示機
2005年撮影

軽金属塗料も陸上機の様な緩衝装置を持たない水上機が60kt以上の着速で海面に着水し、激烈な衝撃力を受けても尚、剥がれず、浸水しない事が要求された。 その厳しい条件に耐ええる塗料は昭和12年3月に航空機用水密塗料、油密塗料が海軍購買名簿に登録されていたが、この塗料には軽金属に密着し且つ着水時の高圧の為に水が透過しない事が必要であり、悪い塗料では、たとえ剥げなくても海水が着水時の圧力で塗装面を透過して、飛行艇の底面に水泡が幾つも出来てしまい、もはや防蝕塗料として用を成さなくなる。

飛行艇では着水衝撃で外板の接目から海水が艇底に浸水する事が在る為に艇板の接目や鋲列等には「中野式塗装法(Silk Painting)」と呼ばれたポリビニル系塗料と純絹布に軽金属塗料で施された塗装が用いられた。 これは幅50mmの純綿布をポリビニル系塗料に浸して外板に貼り付け、乾燥後にパテを塗って磨き上げ、平滑な表面に仕上げた後に軽金属塗料が塗られた。 大戦中に於いては純綿布の不足からステープル・ファイバーの利用が多くなり、航空機のフロート等に尿素樹脂塗料が用いられる様になった。


横廠式水上偵察機
写真 KAZU提供

モーリス ファルマン水上機
写真 航空スポーツマガジン ヒコーキ野郎
(発行 社団法人日本飛行連盟)

又、初期の木製フロートを用いた機体では、防水以外に底面を腐蝕させる害虫デリドー(船喰虫)、リムノリア(木喰虫)、チュルラ(木喰もどき)による腐蝕を防ぐ必要が在り、塗料としてはアスファルト、亜鉛粉甘汞、石油タール、亜麻仁油、石粉又は硝子粉等を使用したものがあった。

気密塗料

重合度が約8000のポリビニルアセテートをメタノール溶液中で塩酸触媒を以って適度の加水分解を行った後に、フルフロールの作用・アセテート化を行い、製出したポリビニルアセタール樹脂は耐寒性優秀で、金属への接着力が強く、気密塗料の原料として最適であった。

この樹脂をアセトンに10%溶解させて作られた試製塗料「V.F.塗料」が在る。

下地処理
 水上機や飛行艇等には陸上機とは違い幾重にも防錆塗装が施されたと考えがちになるが、そもそも軽金属はイオン化傾向による酸化反応を起こす事から塗装の密着性が悪い事から剥離し易く、電腐を起こし易い事から外板にはアノダイズやアロダイン呼ばれる酸化コーティングを下地に施す必要が在る。現在の航空機でベアメタルの銀色と思しき機体外板にも、このアロダインが施されている。

参考文献

日本塗料工業史 日本塗料工業史編纂会編 (1953年)

日本特殊塗料株式会社四十年史  日本特殊塗料四十年史編纂委員会編 (1969年)

日本特殊塗料70年のあゆみ  日本特殊塗料70年史編纂委員会編 (1999年)

日本航空学術史 1910-1945 日本航空学術史編集委員会 (丸善 1990年)

航空技術の全貌 下巻 (原書房 1976年)

海鷲の航跡 日本海軍航空外史 海空会編 (原書房 1982年)

航空ファン 1979年5月号 (文林堂 1979年)

航空機用金属材料 (工業図書株式会社 昭和15年)

戦史叢書 陸軍航空兵器の開発・生産・補給  (朝雲新聞社 1975年)

戦史叢書 海軍航空概史 (朝雲新聞社 1976年)

知られざる軍用機開発 下巻 (酣燈社 1999年)

軍用機開発物語 (光人社 2002年)


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